魂磨き
「分離感を取り去る努力を重ね続ける事」
私達は、何のために地球に転生してくるのか、という疑問に対する答えとして、「自分の魂を磨くため」と答える人はたくさんいると思います。では、魂磨きとは具体的に何をどうすればいいのかは、実はよく分からないという人は多いのではないでしょうか。一人一人の置かれている場所や立場などは異なりますし、日々の生活に飲み込まれて、そんな魂磨きということなど意識しないで生きている人の方が多いのかもしれません。それはそれで良いも悪いもないのだと思います。なぜならば、人それぞれのタイミングというのがあるからです。それと、自由意思と選択の自由もあります。
世界には、毎日楽しくて仕方がないという人もたくさんいるでしょう。その様な人は何かしらの満足感に満たされているから、なぜ生きているのだろうなどと、ことさら考えないのかもしれません。これは、あくまでも例えばの話です。しかし、そんな人も、ある日突然、何かに躓いたりして、今までの順風満帆の流れが変わったら、どうでしょうか。この様な時の対応の仕方は、人によって様々だと思います。諦めてしまう人、必死になって元に戻そうとする人、流れを冷静に見て、タイミングを待つ人など、いろいろあると思います。そして、その対応の仕方でその人の次の展開が変わってきます。対応の仕方を選択したのは自分自身です。他の誰でもありません。その時の自分の波動水準で瞬間瞬間決めています。だから、ある意味、自分に必要な事を引き寄せているとも言えるのです。その目の前の事象から何かに気付きたいということなのです。そして、気付いたら次のステージがまた展開するのです。
この時に非常に大事なことは、自分が、偽我のまま何かを選択しているのか、それとも、真我で選択しているのか、ということです。地球に法則がある様に、宇宙にも、これをこうしたらこうなるという法則があります。だから、偽我なのか、真我なのかということがとても重要なことになります。偽我とは、地球での肉体を纏った自分が本質だと思うことであり、真我は命(無限の生かしというエネルギー)を本質と思うことです。
実際、世の中を見てみると、金持ち、貧乏、学校、職場などでの、膨大な数の様々なシチュエーションの元で人々は生きています。それらは良いも悪いもありません。あるのは、そのシチュエーションの中で、自分がどういう意識で生きているかです。金持ちがその有り余るお金をどう使うか、それはその人の思いが左右します。思いが言葉に出て、実際の行為として表れます。貧乏な人も、その境遇をどう捉えるか、思いが言葉になり行動に表れます。実際これは、主観が入りますから、金持ちと貧乏の基準は人により異なると思います。だから、自分でどの様に思っているのかで、それに対する認識は変わります。自分の認識と他人の認識は違います。また、その認識が、特定の誰かと比較してのことならば悔しさや苦しさも生じるでしょう。でも、その境遇に対して、自分なりにこれでいいとするならば、気持ちの持ち様は、前者と違うものになると思います。いわゆる比較感という基準に視点を置くか、そうでないかによるということです。私は、自分が置かれている場所で何を学び、何に気付けるかが一番大切だと思います。そう思わないで、比較感から、あの人に負けている、悔しい、自分はこんなに働いているのになぜこんなにも境遇の違いがあるのかとか、あの人は、悪いことしているのにあんなに満たされておかしいとか、この様に思う人は多いのではないでしょうか。これは、比較感から始まったもので、次第に分離感へと変わります。俺とあいつは違う、あいつは俺より下だ、逆にあいつにはなかなかかなわない、ならば、どうにかして引き摺り下ろしてやる、などの思いが高じて、最後は戦争になる訳です。
つまり、どんな境遇にいても、どんなシチュエーションであっても、自分の思いでそれは変わるということです。共存、共栄、共生の思いを選択するのか、比較感、分離感のままを選択するかで変わるということです。前者は楽で愉しくなり、後者は苦しく、嫉妬、怨み、争いを招き続けることになります。どちらを選択するかは各々の自由意思です。この様なことに気付くために、地球に転生して、様々な境遇やシチュエーションを体験するのは、この分離感を完全にいらないものと気付く為ではないでしょうか。このプロセスが、魂を磨くということなのだと思います。
本来の私達の本質は、個性を持ちながら、すべてと繋がっています。そして、楽しむために、いろいろなことを創造しながら、転生を繰り返すうちに、自分自身で創造した世界が本質だと勘違いし始め、ついにはその錯覚が深いものになり過ぎて、今に至っているのかもしれません。神の言葉に「遊び疲れたら戻っておいで」というのがあったと思います。しかし、錯覚が深すぎて、波動が下がり、帰るに帰れなくなり、もがいているのが、私達なのかもしれません。だから、元々の大元の波動である、共存、共栄、共生という完全調和を選択すれば、戻れるのだと思います。もっと分離感の世界でやりたい人はその思いの波動を出してますから、同じ様な波動の人を引き寄せて、その争いの世界に留まることになります。なぜならば、波動共鳴の法則があるからです。つまり、自分で何を選択するかが大切なのです。その元になるのは自分の思いであり、その思いはそれ相応の波動を出すのです。だから、地球を平和にしたいと思うなら、責任を持って自らがその波動を出す魂にならないとならない訳です。すべては波動です。地球が波動を上げたら、それに合わない波動を発するものは、そこにはいられません。波動共鳴の法則です。これは実証されてます。だから、自分がどう生きたいかを認識して、その意向通りになりたいなら、努力しなければなりません。平和な地球に生きたいのなら、分離感を取り去る努力、つまり魂を磨く努力をしなければならないのだと思います。
魂磨きとは「分離感を取り去る努力を重ね続ける事」なのだと思います。
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