自分とは

意識

自分とは
 自分とはどんな人間なんだろうと思って、それを知りたいと探ろうとしてみたら、どうやったらいいのか、なんだかよく分からないし面倒だからもういいやと思ったことは誰にでもあるのではないでしょうか。
少し真面目に取り組もうとして、自分で長所や短所をノートに書き出してみたりして、それでもよく分からないからやめてしまう人も多いのではないでしょうか。
また、他人に「私ってどういう人間かな?どう見える?」などと聞いて回ったりして、喜んだり、落ち込んだりしたこともあるのではないでしょうか。
でも、人間は他人のことを、自分が見たい様に見ますから、自分を知るために、他人に聞くのは、あまり参考にならないかもしれません。では、自分を知るためには、いったいどうしたらいいのでしょうか。
 あなたは、いつも何を思ったり、考えたりしていますか。また、世の中の事象や目の前の事象を見たり、聞いたり、触れたりした時に、どの様に感じ、その思いの表現の仕方はどの様なものですか。今までを振り返ってどうだったか、今はどうなのかを自覚してみると、こんなだった、あんなだったなどと、改めて自覚できると思います。
例えば、道を歩いているときにすれ違う人を見て何を感じるか、人から何かを指摘された時や、褒められた時などの思い、または、ニュースを見たときに何を思うか、怒りや同意などの感情だけを思うか、「まあいろいろな意見、見方があるからね」と思うか、この様に様々な出来事に対する自分の反応を意識してみたらいいと思います。
重要なのは、その時その時の自分の内側の思いです。最初にどう思ったかです。つまり、それらの全てが自分だということです。人間には、何かの事象に対して、その瞬間的な思いが初めにあり、言葉や行為により相手に伝えるのです。その言葉や行為は、上司だから上辺を装ったりとか、相手が、自分が日頃から見下す気持ちを持つ人だったらやり込めるとか、いろいろ、相手の地位や肩書き、場の雰囲気、日頃どう思っているかなどで、無限の対応の選択肢の中から、一つの反応の仕方を決めると思います。でも、初めに思うことはどうでしょう。反射的に思うことです。同じ事象に対して、初めに思うことは大体いつも変わらないのではないでしょうか。それが今の自分なのだと思います。しかし、事象に対する最初の思いだけが自分ということではありません。まだあります。それを知るためには、自分が日頃からいつも何を思っているか、改めてよく振り返るといいと思います。例えば、異性をどう思っているか、動物や植物をどう思っているか、お金についてはどうか、好きなことは、嫌いなことは、執着していることは、など改めて見つめてみると、いろいろ浮き上がってくるのではないでしょうか。それも今の自分を形成しています。
だから、自分のことを、他人にいろいろ聞いても、本質は分からないのだと思います。
この様に、自分を見つめると、これはやめよう、改めよう、恥ずかしい、などの気持ちに気付くかもしれません。中には、そんなことには、まったく気付かない人もいるかもしれません。気付いて修正しようと意識し始めたり、気付かずに欲望のまま、何も変えようとしなかったりと人それぞれだと思います。そういうすべてが自分です。いずれにしても、意識することが大切だと思います。
 私は、この世を生きる上で、まずは、自分を知ることから始めるのが大切だと思っています。これを意識するかしないかが、ある意味今生の目的を追求するスタートラインに付くか付かないかの違いになると思います。自分を変えられるのは自分です。また、自分を救うのも自分です。だから、自分は何のために生きているのかとか、なぜ思い通りにいかないのかとか、死んだらどうなるのだろうなどということを考えることは非常に大切なことだと思います。
私は、この世にありてあるもの全てから学ぶ姿勢というのが非常に大切なことなのだと思います。その様に思えれば、自然と謙虚な姿勢になると思います。それは、こんな意見があるのか、あんな意見があるのか、という姿勢ならば、自分が絶対に正しいとの思いで押し切ろうとしないと思います。自分が正しいあなたは間違っているという姿勢をとれば、必ず対立すると思います。勝ち負けで人より先んじるという姿勢ではなく、調和の姿勢が自然の摂理だと思います。それでも、どうしても他を裁くようなことをするならば、それは傲慢という一言に尽きると思います。
ありてあるものから学ぶ謙虚な姿勢は、調和の世界を、自分が正しい、あなたは間違っているという傲慢な姿勢は、対立の世界を作り出します。そして、これからどの様な世界になるかは、一人一人の本当の思い次第です。初めの思いを変えることは、他人にはできません。だから、一人一人の思いがどうなのかが、つまり、調和的なのか対立的なのか、謙虚なのか、傲慢なのか、こういうことが大事な要因なのです。
 地球には時間があります。ゆっくり思いを修正できる場です。仮に思いが瞬間的に具現化する場であったならば、やっぱりやめておこうとか、ごめんなさいとか、そういった修正する時間はありません。だから、この地球にいる間に、思い癖を正した方がいいと思います。というか、ここでしかできないのかもしれません。やるやらないは自由意思です。でも、私は、ここにいる人達は全員、本当は修正したくて来ているのだと思います。それを忘れてしまっているだけだと思います。だからこそ、本来の目的を、なんとかして思い出す人が多くなればいいなといつも思うのです。

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