関係のあり方

意識

関係のあり方
 世の中には、いろいろな”関係”があります。親子、兄弟、姉妹、従兄弟、従姉妹、叔父、叔母、祖父母、教師と生徒、先輩後輩、歳上歳下、上司部下、皇室・王室と国民、夫婦、男女、国と国、人種と人種、などたくさんの関係を人間は構築してきました。それら多くの”関係”というものは、人間が長い年月を重ねる間に、それぞれに、”こうあるべき”という、共通認識の様なものが出来上がっています。そして、その共通認識も、人によって微妙に捉えられ方の違いがあると思います。また、組織によっても捉えられ方が、微妙に違うと思います。
私は、基本的に違いがあって、それでいいのだと思います。今、所属している組織の、共通認識になっているやり方で、居心地が良ければ、そこにいればいいし、耐えられないのならば、自分に合うところを探すなどして、早めにどうするか決めた方がいいと思うし、いろいろな違いがあった方が探す際に、選択肢が豊富でよろしいのではないでしょうか。
これをある一定のものにしようとすると、変なことになります。これだけ多くの人間がいるのに、この関係はこの様なものが望ましいとやり出す人や、それに賛同して半強制のような雰囲気を作り出そうとすると争いになるのです。特に国や人種間の関係でこれをやるからおかしくなるのです。
争いになるのが分かっていて、わざとその方向に持っていくグループがいます。例えば、今のフリーダム・コンボイ(国と国民の関係)や、ウクライナ問題(国と国の関係)などは、何とかして争いに持っていこうとするグループがいて、それを全面バックアップしているのが報道関係です。日本のマスコミもほとんどがそうです。凄いものです。まあ、MSMはDSですから仕方がないというか、もう必死ですね。この私達の考えや、やり方が正しいのだから、従いなさいというのが問題なのです。そこには、自由意思の尊重も選択の自由などを認める姿は微塵もありません。あるのは支配権の継続維持の姿勢です。
カナダのトルドー首相はこの路線を突っ走っています。これを全体主義と言います。
この様な極端な例ではなくて、私達の日々の暮らしの中でも、親子はこうすべきとか、上司部下はこうあるべきとか、いわゆる、この関係は、こうすべきという論理を声高に言ってくる人がいると思います。ある程度は仕方がないかもしれませんが、優しさや思い遣りがなければ、その思いは、話す言葉に出るし、態度、行動に出てしまうと思います。なるべく、どの様な立場であっても、謙虚で誠実でありたいものです。なぜ、それが出来ないのか、それは、自分の思い、考えを無理やり通そうとするからです。他人の意向を聞く姿勢に少し欠けているのです。最初から押し通すつもりなのかもしれませんが。優しさや思いやりからと言いながらでも、他人に強制しては、自由意思の尊重、選択の自由を忘れた行動になるのですね。だから、この二つを大事にするということは、かなり辛いことにもなる場合があるのです。
私達は、一人一人、それぞれの道を行けばいいのだと思います。家族でもそれをお互い認めて尊重した方が、結果は分かりませんが、わだかまりが残らない様に感じます。
自分の心に素直にいきましょう。それが、自分の本質と表面意識の”関係”が一番うまくいくことなのだと思います。

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