よい子
それは「自分の個性が出まくっている子」
「よい子とはどんな子と感じますか」との質問に対する小学生の答えです。私も、なるほどね、そうかもしれないなと思いました。
医師の松久正さんと小学生との対談本の一節にありました。
人間は、自然と、あることに惹きつけられて、興味を持ち、人によっては、それを寝食を忘れるくらい没頭することがあると思います。私も、小さな頃から、その時々で、惹きつけられることは何かしらありました。ずっとやり続けていて、母親にしかられたこともありました。いわゆる、寝食を忘れてやっていて怒られたという事です。そしてその惹きつけられることは、人によって様々です。何に惹きつけられるか、それにどんな反応の仕方をするかに、個性がでると思います。
今までの社会システムは、そしてそれは、今も続いていますが、ほとんど何も変わっていないと感じます。その内容とは、”社会的に、人は、その年齢に応じて、こうすべきというコンセンサスに近いものがあり、それに基づいた行動をしないと、はみ出し者、落第者、落伍者、負けた人などの印象を持たされてしまう”といったもので、それは、多くの人達の共通認識の元にあると思います。ランク付けの基準にする人もいるでしょう。
少し極端な話にもなるかもしれませんが、例えば、生まれた病院は、どこどこにある何々病院で、住んでいる所は何々の高級住宅地で、幼稚園は、小学校は、中学は、高校は、大学は、仕事は、など全てに勝ち組に入れるか、外れたら負け組になってしまう、という様な社会的共通認識が、現実的にあると思います。現にランク付けしていますね。一つの価値基準です。そして、それを受け入れている人は、非常に多いのではないでしょうか。なので、主流になっているのだと思います。本当は基準などは、人の数ほどたくさんあるのです。今の”主流”はその数ある中の一つの基準に過ぎません。誰かがメリットを受けられる様に設定されている基準です。私は、良い悪いを言っているわけではありません。
ただ、この路線だけではなくて、もっといろいろありますよ、画一的、一律的だと、何か狭い感じがしませんか、この路線でうまくやってきた人も、不調和な想念でいっぱいじゃないですか、本当は、これをやりたいということがあり、実は気がついているのじゃないですか、これからは、その自分が好きな事をきちんと出来るもっと自由な社会システムの方が楽じゃないですか、という事を言いたいのです。
今、上記した、一つの”主流”とされている社会システムは、今も当たり前みたいになっていて、これからさらに拍車がかかる雰囲気すら感じています。そのシステムの中で特に気になるのが、教育システムです。
私は、これについては、画一的過ぎる気がします。誰かが決めた、指導要綱に基づいて、全ての人に、一律的に行うのは、個性が埋もれてしまい、画一的な人間がどんどん出来てしまいます。学校で先生たちが言う、よい子とはどういう子を言っているのでしょうか。”規則を守る子”、”言うことを聞く子”、などを言うのでしょうか。誰かが決めたことを守る、言うことを聞くのを素直な子として良しとして、それに異論がある子は反抗的だとしたら少し違和感を感じます。これは、素直ではなくて、”従属的”という人間が大量生産されてしまう可能性が多分にあると思います。まずは、学校の在り方の見直しが急務で、必須だと感じます。憲法では、”教育を受ける権利”を言ってますが、”学校に行かなければならない義務”は言ってません。これを踏まえた上で、もっと自由に教育を受けられるようにしたら、一人一人の個性を伸ばせる事ができると思います。
不登校は大変だとか、なんとか学校に行く様にしなければならないという事ばかりしかMSMは報道しませんが、今の一律的、画一的なものに耐えられない子はたくさんいると思います。だから、その画一的、一律的なやり方と考え方、資金配分を見直せば、不登校のレッテルを貼られて、変な見方をされる子はいなくなると思います。一人にかかっているコストの使いみちの選択肢をもっと増やす方法なども効果的だと思います。私は、もっと生きるというのは自由なんですよと言いたいし、その方が楽しく日々暮らせるのではないかと思います。
何をするにも、動機があります。今の社会システム、その中の非常に大切な教育システムの運営には、どんな動機があるのでしょうか。それについては、私達がよく調べたり、見たりして、気がつく必要があります。運営側は本当のことは言いません。それならば、自分で気づいたやり方でやればいいと思います。
そうは言っても、なかなかねぇ、というのは分かります。ですから、無理なくやれる事を少しずつやればいいと思います。何かを変えるというのは、コンセンサスを得ながらですから、時間がかかります。だから、無理をすると、気がつかないうちに、他人に強制してることになっているかもしれません。それでは、本末転倒になりかねません。
しかし、冒頭にあげた、小学生の答えにはいろいろ考えさせられました。その子の話には素晴らしいと感じるものがたくさんありました。最近は、本質をつく話をする子がたくさんいて、こちらが学ばせられることが多いと感じます。そういう子は、本質的に(魂的)には大先輩なのかもしれません。つまり、子供達を、画一的、一律的に扱うなど、個性を抑圧することになり、可哀想だし、勿体無いし、何より失礼だと思います。
冒頭の小学生が、「あなたが学校の先生だったら、子供たちに何を伝えますか」と質問されました。その答えは、「他人に押しつぶされないで、ありのままの自分で生きちゃっていいよ」です。いろんなものの概念が変わります。
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