世界


 私は、散歩の時に、ふと目にした花や木にふわっと惹きつけられることがあります。特に、なぜこんな所に咲いてるのと思わせる花を目にすると、なぜか惹き寄せられて、見入ってしまうことがあります。
例えば、ブロック塀の、一番下のわずかな隙間に咲いている、名も知らない花や、近くの小学校の、塀の中程の高さにある、小さな裂け目から顔を出している、名も知らない花の芽を見た時などです。この時は、このまま誰にも見つからず、思う存分咲いて欲しいと思い、見つかりません様にと、心の中で言って帰りました。それは、しばらくの間、そのままの姿で、茎を出していたのですが、誰かに見つかり抜かれてしまいました。場所が小学校ですから、帰り道にでも、子供に見つかったのかもしれません。ちょっと残念ですが、仕方ありません。
誰でも、この様な、路傍に咲く小さな花を見て、よくこんな所に咲くなと思ったことがあるのではないでしょうか。
 地球上の生物は、今の地球の条件に合うものが存在しているとのことです。ですから、今存在している生物は、今の地球が出している諸条件に合っている、ということです。合わなくなれば、恐竜の様にいなくなってしまうということです。逆に、その条件が恐竜に合うものになれば、また恐竜が現れるという事です。
 今の、この条件を変化させてしまうことができるのは、我々、人間だけだと思います。でも、これ以上、地球の法則を無視して、諸条件を変えてしまったら、私達は、今の肉体のままでは、存在できなくなると思います。つまり、私達人間は地球に生かされているということです。地球がその条件を維持してくれているからです。
花は、与えられた環境が整えば、本質である美しさを表現します。どこででもです。条件か揃ったら、本来の姿をどこででも表すということに、健気さを感じます。また、この法則は凄いの一言です。人間以外の動物もそうです。人間の様に、自分の唯一の住処を破壊するようなことはしません。
この花や動物と比べたら、私達はどうでしょうか。自由意志と選択の自由がありますが、そのバランスを崩して、不調和な方へ傾きすぎたのか、長い間、好き勝手にやりたい放題してきたのではないでしょうか。その結果、私達に対して地球からは様々な形で、反応がありました。洪水、噴火、津波、寒波、熱波などいろいろありました。大災害になってしまったものもたくさんあります。これも自然の法則を無視した結果だと思います。でも、地球は、自分の体調を整えただけなのだと思います。だから、人間が自分達の都合で、気象を操作したり、雷、地震などをコントロールしようとして、上手くいったように見えても、その結果は、また地球のゆするぎに会うことになるのだと思います。地球が、元の調和的なものに戻すために身震いするということです。不調和なものは弾き飛ばされます。
私達、人間は、そろそろ、この花や動物の生きる姿勢を見て、何かに気付かなくてはいけないのかもしれません。そして、今までの様な、何でも支配できると思う傲慢さを止める時に来たのだと感じます。地球では、肉体レベルの生で、魂レベルではないのですから。
ある人が、人間は天と地を繋ぐ光の道管と表現していました。私もそう思う様になりました。このことを思い出し、肉体レベルと魂との調和を取りながら以前の様に暮らせたらより平和な地球になると思います。
 私達の、この素晴らしい学舎でもある地球を、調和の取れた状態にすることは、今の私達が最も心がけなくてはならない事だと思います。これから、地球を学舎とする人の為にも大切なことです。やりたい放題やって、あとは知りませんというのは、あまりに、思いやりに欠けることではないでしょうか。
私は、路傍の花の様に、今与えられている場所で、誠実に、謙虚に、調和を心がけて暮らしていこうと思います。

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