集中講義

意識

集中講義
 私達は、毎日の暮らしが、何事もなく、いつも通りに過ぎていくと、安心です。でも、変化を感じられなくて、単調だと感じ始めると、つまらないと思ったり、何か刺激を求めたりする様になると思います。不思議と、そんな時に、日常を揺さぶる様な対人問題が起きたりします。こういうことは、誰にでもあると思います。
人にはそれぞれ、学校でも、職場でも、自分なりの慣れたやり方での一日の流れというのがあると思います。それが、あたりまえの様に続いている間は、単調ながら安心感を持ちつつ、何となく落ち着いた日々の暮らしを営んでいると思います。そんな時、例えば、学校の担任の先生や、会社の部署のトップなどが替わったりすると、ルーティンの変更を余儀なくされることが多々あります。今までの場の空気、雰囲気、仕事のやり方などが、ガラッと変わることがあるからです。それが、自分にとって、以前よりやりやすいものや、相性が合う人、考えが合う人、優しい人などだったら問題はないかと思います。しかし、異常に厳しくて、相性も合わず、ベキ論で迫られ、いつもピリピリしていて、場の空気、雰囲気、やり方などが全く違い、今までのやり方はほとんど無視され、結果しか見ない、などということになったら、たまったものではないと思います。
こういうことは、どこにでも、たくさんあることかもしれません。しかし、これが続いたら、自分にとってギリギリの精神状態になるかもしれません。私も、何度も経験があります。”合う人、優しい人”から”合わない人、ピリピリしてる人”へと、約三年周期で入れ替わっていた感じです。ピリピリ状態が六年程続いたこともありました。これは、かなりキツくて、寝汗をかいたり、体が動かなくなったり、疲れが取れずボーとしてたのを覚えています。その時は、早く交替してくれないかなとか、その人を恨みに思ったこともありました。そして多くの若手が辞めていきました。いわゆるウルトラパワハラというものです。私はある程度上手くこなせる自信があったのですが、なかなか上手くいきませんでした。片足が崖から半分落ちているという気持ちになりました。
その様な経験は、今思うと、もちろん必要なことでしたし、その様な人がいなければ貴重な気付きもありませんでしたから、その時の登場人物には、ある意味感謝してます。でも、もう結構です、というのが本音です。私にはもう必要ないので現れないと思います。あの時は必要だから、現れたのです。私が呼び寄せたということです。あの時の実感は薄れているのですが、本当に毎日が信じられないくらいキツかったのです。
これは、私の人生の中でいくつか設定した、集中講義だと感じています。今書いたのは、第七回目の集中講義でした。一番か二番目くらいのキツさでした。思い返してみると今まで集中講義は七回ほどありました。もちろん大きなものです。小さなものを入れるともっとあります。そんなに設定するなんて、私は贅沢なのかもしれません。
 私は、突然起こり始める、または、じわじわ起き始める、自分にとっての(世間一般的に言う)困難なことを、”人生の集中講義”と呼んでいます。気付くための集中講義です。(この集中講義という言葉は、山川亜希子さんが、すべては魂の約束という本の中で言ってます)
その集中講義の、始まりから終わりまで、いろんな困難や面倒なことが目の前に現れてきます。取り組んでいるときは、もう無理、となりそうなことが何度もありましたが、今思うと必ずなんとかなってますし、また次の平穏な暮らしに落ち着くものです。
ただし、その取り組む姿勢は非常に大事で、しっかりと向き合って、丁寧に対処する姿勢であれば、課題クリア、となる気がします。目を瞑って、知らないふりをしたり、無いものとして、適当にやり過ごそうとすると、長引くか、もっと酷くなるか、やり過ごせたと思っても、形を変えて、またいつか現れると感じます。だから、集中講義とは、なかなか厳しい課題をきちんとクリアすることが終了の必須条件だと思います。もう一度言いますが、しっかりと向き合って、丁寧に対処すれば、必ずなんとかなり、平穏な暮らしに落ち着きます。私の場合はそうなっています。アドバイスを求められた方も、しっかりと向き合って丁寧に対処したら、結果そうなって、人が変わった様に落ち着いた暮らしをし始めています。たまに、私の方が諭されるくらいです。なんだか、ああ、よかったと思います。
でも、何でもそうですが、無理はしない方がいいと思います。特に、対人関係の場合は、本当に無理、危ないと感じたら、避難した方がいいと思います。自分の設定以外のところに嵌る事もあるようです。極闇に捕まる様なことでしょうか。こんなことになったら、あちらから見てる方達もハラハラしていると思います。この様なことを、アフターライフ(矢作直樹さん監修の翻訳本)に出てくるお兄さんが語っていました。予定に無かったことに嵌まりそうになって、妹に既(すんで)のところで助けられたと。やはり、無理はしなくていいのです。舞台が違うと感じたら一旦引いた方がいいと思います。本当は何度でもやり直せますから。
私は、今までのところ、七回の集中講義を経てきました。振り返るとこれでよかったんだなと感じています。私なりの気付きがたくさんありましたから。でも、言い換えるとこれだけの目に遭わなければ気付けなかったとも言えます。今生では、あと何回の集中講義があるかは分かりませんが、しっかりと向き合って、丁寧に対処していこうと思います。もちろん無理はしません。演じる舞台を間違えたら、何やってるの、となりますから。

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