証を求めずに信ずること

意識

証を求めずに信ずること
 私達は、地球では、地球の法則で存在する肉体を借りて生きて行きます。その際には、ここに来る前の記憶は消されています。そして生まれてから一年、二年と時間をかけて、肉体の使い方に慣れていきます。寝てゴロゴロして、ハイハイする様になり、ヨチヨチ歩きをして、だんだん普通に歩ける様になり、自由に活動出来る様になります。家で母親とほとんど一緒の時、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人と、だいたいこんな流れが一般的かと思います。
その様な流れの中で、ある日ある時、”自分は、なぜ生きるのか”などについて考えることは、一度や二度、ほとんどの人に起こることだと思います。そのきっかけになるのは、何かに、追い詰められたり、苦しい思いをしたり、虚無感に襲われたり、地に足が着いてないと感じて、宙に浮いた感じがする様な時だと思います。
また、誰もが、気持ち的に、追い詰められてどうしたらいいか分からなくなった時に、”神様助けてください”などと、無意識のうちに祈ったことがあるのではないでしょうか。そんなの信じないと日頃言ってる人もです。死んだら何もない、それで終わりと思っている人も、神社仏閣に行って、手を合わせた経験はあると思います。やはり、究極に追い詰められたら、人は、何かに救いを求めるのだと思います。”その何か”とは何でしょうか。
 世界には、リーディングをする人はたくさんいる様です。その人に何かがアクセスしてきて、時には、誰もが知っている名前を言って、語ったり、紙に書いたりする様です。でも、その有名な人の名前を名乗った存在が、本当に本人かは証明できません。アクセスしてきた存在がそうだと言っても、本当かどうか分からないし、リーディングした人が間違いないと言っても証明した事にはならないと思います。
 私は、波動を信じています。同じ波調は共鳴します。この事は、いろいろな実験で証明されています。このことから、推測すると、リーディングする人の波動とアクセスしてくる存在は、同じような波動で、それが同調しているのではないかと思います。だから、それらのことは、ほとんどが本当に起きていることだとは思います。しかし、本当は誰なのかは分かりません。だから、自分自身で、読んだり、聞いたりして、しっくりくるものをその時その時選択すればいいのではないでしょうか。それが、その時の自分の波動に近いものを受けていることなのかもしれません。自分は、今ここら辺と確認もできると思います。このやり方だったら、証を求めずに信ずることができるのではないでしょうか。誰が言ったかは問題にしてないし、その言っていることそのものに共振、共鳴しているわけですから。
また、特に、その様な存在と何としてでも繋がってみせるという様に、アクセスしようとしなくてもいいし、したい人は、やればいいし、これが出来る様になるのは、気がついたらやる様になってたとか、または、いつから繋がると、自分で決めてきているのかもしれません。ついに、出来ずに終わるかもしれません。それはそれでいいのだと思います。
 波動はあります。人も振動しています。ならば、美しく、調和的な波動を持つ存在にもなれるはずです。そして、その波動に近いものは、共振共鳴するはずです。その様になる為には、自分をよく知ることが近道だと思います。今、自分はここら辺だ、と知ることです。そして、自分を思い出す旅の終点は、究極の微細で精妙な波動です。無限です。
“その何か”とは、つまりこれだと思います。

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