比較しない
辛いこと。そう感じることはたくさんあると思います。
その一つに、思い通りの自分になれない辛さがあるのではないでしょうか。あることを、誰かと比較するのが、その始まりなのかもしれません。
例えば、容姿について、自分で気になるところや嫌いなところがあるとして、あの人の様になりたいと思ったとします。でも、その人にはなれません。人によっては、何度も整形を繰り返して希望の容姿に近づこうします。それで自分に自信が持てて、自分が好きになれたら、それもいいのかもしれません。
また、生まれも育ちも良く、有名校を出て、若くして企業して、成功して、上場まで果たした人がいますが、この様な人は、凄い人、カッコ良い人、目指すべき人と、一般的には言われると思います。この様な人達を見て、自分もこの様な人生を目指そうという人は多いと思います。
私は、これらの人が良いとか悪いとか言うつもりはありません。何でも、自分でやりたい事はやったらいいと思います。ただ、思うのは、うまくいかない時や思い通りにならない時などに自分を否定していないか、否定しているのならば、それに気付いているのか、その意識はあるのかという事です。このことはとても大切な様な気がするのです。心が不調和な状態になるかもしれないからです。こうなると、精神階層では禍を撒き散らすことになるかもしれません。
私は、あるがまま、なるがまま、これでいいのだ、それでいいのだ、と自分を受け入れることを、いつも忘れない様にしています。そう思うと気持ちが楽になり、一旦、今の自分を確認できるからです。それでまた、次に進める気持ちになります。そしてそう思うことで、自分軸に戻れるからです。そこに立ち戻って、再度、やりたい事を始めたり、ああ、素敵だなあ、あの様になりたいなと思った人の真似をしたりします。無理と感じたらすぐにやめます。その人になるのは無理ですが、立居振る舞い、話し方などは真似たり、目指す事はできます。しかし、少しやってみて、やっぱり自分はこれじゃないなと感じたり、違和感を感じたらやめます。その内に、自分の内面が反映された所作、言葉使いになると思うのです。思いが正されれば、言葉に表れ、行動にも表れます。この様に考えているので、出来なくても焦りません。ただこれが今の自分だと受け入れます。つまり、今の自分を受け入れられなければ、辛さを感じ続けてしまい、焦ったり、あれをしたり、これをしたりと、堂々巡りをしてしまうかもしれません。しかし、受け入れられれば、一旦自分軸に戻るというリセットができると思います。この様に今の自分を受け入れるか、受け入れられないかでは、大きな違いが生じるのだと思います。
しかし、こう言うと、「あなたは現状肯定主義ですね、進歩がない、ある意味負け犬の遠吠えになりますよ」と言う人もいます。それは、その人の価値観から出た意見なので、それはそれでいいと思います。ただ、違うだけです。勝ち負けを意識する生き方の基準、その勝ち負けの基準になるものが何なのかということです。それが違うならば、他の人が気になることも、自分は何も気にならないかもしれないということです。その逆もしかりです。この様に、いろいろな人がいないと舞台が成り立たなくなってしまい、学びがなくなってしまいます。だから、誤解されてもいいのです。それでも、自分の心に素直になりたいと思ったら、誰に何を言われようが、そうすればいいのだと思います。ここで大切なのは、自分の価値観や、それから出た意見などを、他人に強制しないことです。それが前提にあって、自分の好きなことをきちんとできる社会になるのだと思います。
私は、自分の内側のものとではなく、外側のものと必要以上に比較すると気持ちが重くなるのだと思います。自分の内側のもの、例えば、今の自分の立ち位置を自分の中で比較すること、つまり、前は出来なかったけど、今はこれが出来る様になったとか、自分の進化を感じられるものであれば、心が軽くなる様な気がします。それは、今の自分を意識しないとできません。だから、やはり、あるがまま、なるがまま、これでいいのだ、それでいいのだ、から始まる様な気がします。
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