すべてのものを認めていく
「すべてのものを認めていく、という難しさと易しさを、あなた方はこれから先もいやというほど味わっていくことになりましょう」
(私は愛する 山田征著)
日々の暮らしで目の前に起きる、自分が関わること、また、世界中で起きているあらゆる出来事の中で、自分が認識したもの、これらすべてを認める事ができるでしょうか。すべてです。それらは、現実としてあるということ、また、それらには、そうならざるを得なかった裏付けや理由がある、と認める事ができるでしょうか。
例えば、学生だったら、課題の提出期日に間に合わなくて、単位を落としたら、それは自分の段取りミスや怠慢に原因があると認める事は容易だと思います。
営業マンが、約束の時間に、間にあいそうもないのが分かっていたのに、相手先に連絡も入れず遅刻した為に契約が出来なかったら、それも自分の判断ミスと相手を舐めていたとの理由でそうなったと認める事は容易だと思います。
また、ある人が、テレビで散々言ってたからたぶん大丈夫だろうと判断して、自分では何も調べないで、ワクチンを接種したら、長期の体調不良に見舞われてしまい、さらにその因果関係を認められなかったらどうでしょうか。役所では、治験であること、書面で説明はいらないと本人がチェックしたことなどを指摘して、同意もしてあると撥ねつけられたら、そうならざるを得なかった裏付けや理由があり、その一つが自分の判断ミスだからと認めるのは容易ではないと思います。
さらに、今まで世界中で起きてきた、戦争、虐殺など、現に今も仕掛けている人達がいますが、それらのことを、そうならざるを得なかった裏付けや理由があると認める事は非常に難しいところがあるのではないでしょうか。
私達の目の前に、何度も何度も繰り返されている、忌むべきこと、憎むべきもの、戦争、詐欺、辱め、などは、多くの人はそれから目を逸らし、しっかりと見ずに、そうならざるを得なかった裏付けを取らなかったり、その理由をきちんと認めて来なかったのかもしれません。しっかり認めてきたものはその裏付けや理由が理解されているから、あまり日々の暮らしの中では問題にならなくなっているのだと思います。目を逸らし、認め難いとするものが、何度も何度もまだ分からないのですか、と繰り返されているのかもしれません。裏付けや理由を理解する人が少ないからなのかもしれません。
例えば、戦争がなぜ起きたか、そのプロセスに関わった人達と、それぞれの動機と、具体的行動の真実を探れば、そうならざるを得なかった裏付けが取れて、その理由が分かるのではないでしょうか。それを、曖昧に片付けて、嘘か本当かよく分からない理由を、いわゆる専門家が発表して、それを、私達は鵜呑みにして、納得させてきていると思います。それがもし真っ赤な嘘であったならば、戦争に至った様々なことの裏付けも取れないし、その理由も本当のところは分かりません。それでは、嫌なことを避けるためにはどうすればいいのか、そのための真の解決策を認識することはできません。だから、何度も何度も嫌なことが繰り返し起きて、もうそろそろ分かりましたか、まだわからないのですね、となるのかもしれません。”誰が起こしたのか裏付けを取ることと、また、その理由”、”やめると決めた人達の裏付けを取ることと、その理由”、”検証で嘘を垂れ流す人達の裏付けを取ることと、その理由”、”嘘で塗り固められた検証結果を信じる人達の裏付けを取ることと、その理由”など、すべての裏付けを取り、またそれらの理由を確認します。そうすると、語弊を恐れずに言うと、実は自分自身にも原因があるのかもしれないと分かります。
私達は、地球の法則で肉体を纏って暮らしています。テレパシーが使えたら、嘘がつけないので、余計な問題は生じないかもしれません。しかし、残念ながらテレパシーは使えません。言葉で相手に思いを伝えなくてはなりません。だから、解釈の違いでトラブルになったり、または、わざと解釈の仕方を使い分けて思惑通りに持っていったりして問題化させたりするのです。だから、地球の法則の元で平和を保つにはどうすればいいかを絶えず意識しながら、一人一人が”すべてのものを認めていくこと”を理解しなくてはならないのだと思います。そのためには、まずは、そうならざるを得なかった裏付け、理由があるということをしっかり認識することが最初にすることだと思います。それをするには、辛いこともたくさんあるかもしれませんが、それをしないといつまで経っても前に進まないのだと思います。
私達人間は、長い間様々な経験をたくさんしてきました。だから、もう幼子ではないと思います。そして、これからは、”すべてのものを認めていくこと”ということを、どの様に見て対応するのか、そろそろ、別の次元から見て、対応できるようにならなければならないような気がします。
私達は、不滅の存在であり、転生しながら、様々なことを学び、蒔いた種を刈り取るということを何度も続けています。そして今は、その何度も続けている転生の一つに過ぎないのだと思います。しかし、地球では、今まで長く続いてきた”支配と従属”のステージは終わり、また次の新たなステージになろうとしているところで、まさにその瞬間に私達は立っているように感じます。そして、私達が、その新しいステージに、上手く移行できるかどうかは、この”すべてのものを認めていくこと”が、きちんとできるかどうかにかかっているかもしれません。一人一人の意識の変化が重要だということです。
私は、このように認識しているので、どこかの誰かが作った狭い枠組みから抜け出そうと思います。支配と従属のステージは降ります。そして、もうすぐ、もっと自由で軽やかな新しい舞台が始まると思います。そこへみんなで行けるように努力したいと思います。
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