すべては偶然ではない

意識

すべては偶然ではない
 私は、精神世界の人や、それ以外の分野の人も稀に使う、ある言葉が気になりました。この言葉をそれぞれの方々は、どういう意味で使っているのだろうと、ふと思いました。
それは、「すべては偶然ではない」という言葉です。それならば必然ということになりますが、それを何が決めているのか、という疑問に対する一つの答えを「僕は運命100%、自由意思100%だと考えています」(すべては良きことのために 山川紘矢著)と山川さんは本書の中で書いていました。
これは、今生で起こる事について述べています。自分に日々起こる様々な出来事は偶然ではないという事を言っています。それならばそれらは運命なのか、自由意思だからなのかどうなのか、という疑問が出てくると思います。それに対する山川さんの答えが、「運命100%、自由意思100%だと考えています」なのです。私もそう思っているのですが、これだけ読んだだけだと、足すと200%になってしまい、なかなか分かりにくいかもしれません。
これについて、別の言い方で説明してる人がいます。それは、松久正医師なのですが、彼は、肉体である脳を使うものを、顕在意識、潜在意識と定義して、魂を超潜在意識とします。この超潜在意識が、瞬間瞬間、すべての選択をしていて、その選択に間違いはないと言っています。しかし、私達人間は、今生で日々暮らしていく際には脳を使います。それはつまり、顕在意識と潜在意識です。これらが、今、自分の目の前に起きていることに対して、判断を間違ったとか、こんなはずじゃなかったと感じるというわけです。元々は、私達の本質(魂)が、やりたいことを生前計画書(ブループリント)に描いてくるわけですから、それを踏まえながら瞬間瞬間の判断をしているということになります。そういう意味で、超潜在意識(魂)の選択には、間違いはないということなのだと思います。自分で生前計画してくるわけですから、それは運命とも言えるし、自分の本質(魂)の意思ですから、それを自由意思とも言えるのだと思います。つまり、魂はやりたい事をしているけれど、肉体の脳である顕在意識や潜在意識では、偽我の意思(我欲、エゴ)が現れて、嫌だな、間違った、こんなはずじゃなかった、などと思うということです。また松久さんは、「魂はいい方向にしか進もうとしない」とも言っています。その方向とは、大元(神)へと向かうということだと思います。そうだとすると、日々の暮らしで起きることに対して、脳でいろいろ思っても、実は魂的には自分に必要なことが起きていることになります。だから、今生での私達は、偽我を抑えながら、目の前のことを自分に必要なことと認識して、あるがまま、なるがまま、これでいい、それでいいと受け入れた方が本当はいろいろスムーズにいくということなのかもしれません。つまり、至福への一番の近道という事です。
この「すべては偶然ではない」という言葉は一度さらっと聞いただけでは、なかなか分かりづらい言葉だと思います。また、この言葉を聞くと、否定する人やそんな事あり得ないと拒否する人もいると思います。しかし、よく考えてみるとなんとなくこんな事ではないかなと漠然と分かるのではないでしょうか。そんな自分なりのイメージが出てきたら、是非ご自身でも、その先はどうなっているのかご自身のやり方で見つめ続けていたたければと思います。
ここまでの話は、あくまでも私の思い込みですので、どうぞ、ご参考程度にしていただけたらと思います。

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