いてくれてありがとう
私達は、毎日の生活の中で、身近にいる人とうまくやるのが、時々、大変だなとか、面倒だなと思うことがあると思います。それが家庭内のことで、深刻な雰囲気になっている時などは、本当に悩んだりするのではないでしょうか。場合によっては誰にも相談できず、思いあまって、別の道を行きましょうなんてことを口走ったりすることもあるでしょう。しかし、こんな事を言ってしまう時は、静心状態ではなく、一呼吸置く余裕もなくなっている状態なのだと思います。こんな時が、ある意味、人生の分かれ道になるのかもしれません。大きな舞台交換とも言えるのかもしれません。
でも、こんな時こそ味わっている感情を努めて自覚する様にして、きちんと、なぜこうなったのかを認識できるよう努力したらいいかもしれません。そんな簡単にはいかないかもしれませんが、それでも出来たらいいなと思います。
それぞれの人は、ある程度、生前計画で、いつ頃、何を経験するかを決めて来ていると思います。そして、そのある程度決めて来た事も、いざその時になったら、自分の本質(魂)が、やっぱりこっちにしようと思ったら、自分で決めてきた事ですから、コースを変更することは可能だと思います。だから、あまり必要以上に深刻にならない様にして、今の自分は本当はどうしたいかよく考えて、冷静に行動した方がいいかもしれません。例えば、時が経過するに従って生じた、自分と相手の土俵の大きな違いや、バイブレーションが違うと強く感じる場合、どの様にしても相手がこちらの話を全く聞く耳を持たない場合、お互いのこれからの暮らし方(都会か田舎かなど)に違いが生じてお互いに相手のそれを受け入れられない場合などいろいろあると思いますが、その様などうしたらいいのかなかなか難しい問題だと選択に苦慮するのではないでしょうか。ではどうしたらいいのでしょう。
私は、何を選択してもいいと思います。それぞれの道を選択しても、相手に妥協しても、もう少し、しばらく様子を見る事にしても、お互いの自由意思の尊重と選択の自由に基づくのであれば、どれも立派な選択だと思います。なぜならば、人生一切無駄無し、すべては、何かに気付くためにあるからです。そう思えるならば、相手に感謝することができるのではないでしょうか。自分が貴重な経験をする為の舞台で大事な役割を果たしてくれているということです。なので、まずは、いてくれる事に感謝する。いなければ経験できないからです。お互いにです。別に、感情的になってもいいのだと思います。いい人になろうとすることよりも、あるがままの自分と相手をまずは受け入れることを、その時でも後からでも意識することが大切です。その時の自然な反応を大事にすることです。それが、その時、今の自分だからです。だから、意識することで、今の自分のバイブレーションがどこらあたりなのか認識できるというわけです。
私達は、今からでも、できる限りの静心状態を保つことを心がけて、日々、身・口・意を正す努力を続けることが大切なんだと思います。こう言うと、堅苦しく感じるかもしれませんが、やろうと思う人、やった方がいいと思う人、そしてできると思う人が、それぞれのタイミングでやればいいのだと思います。それぞれのタイミングで、気付きを重ねていくのが大切だと思います。逆に気付きを重ねて行くと、身・口・意も正されるのだと思います。要するに、人生一切無駄無しです。
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