意識と命

意識

意識と命
  「意識したことに瞬時に命が働く」
 上江洲義秀さんの言葉です。これは何を意味しているのでしょうか。意識したことに瞬時に命が働くとは、一体どういうことでしょうか。
 私達人間は、毎日、瞬間瞬間、実に様々なことに意識を向けています。平和、共生、戦争など、または、お金、食事、異性、宝石、さらに、権力、支配など、世間一般的に言われる、良いことや悪いことなど、あらゆることに意識を向けています。そのなかのどれかに意識を向けた瞬間に、命というエネルギーが、思いが具現化するように、瞬時にそこに働くということです。私達人間世界に言う、良いこと悪いこと全てにです。このエネルギーが働かないとすべては動かないということです。
 私達人間には、自由意志が与えられています。自由に思ったこと、意識したことに瞬時に命が働き具現化へと向かいます。つまり、命のエネルギーはすべてに平等に働くということです。凄いことだと思います。
要するに、今の世界は、私達人間の思いで作られた、現象世界なんだということになります。完璧だということです。ここには、どこかの誰かの判断は、全く入ってません。良いも悪いもありません。そして、今の世界の状態でいいと思う人が多ければ、このままの世界が続くでしょう。でも、これでは嫌だと思う人が多ければそれなりに変わるということです。
すべては、いわゆる何から何まですべては、波動を放っています。思い、言葉、色、音、光など全てです。各々の、心地良く感じる波動、イライラする波動、落ち着く波動というものなどいろいろな波動があると思います。そして、それらの波動は、似たもの同士を惹きつけるのだと思います。
 人は、ある思いを持ち続けたりすると(手放すか手放さないかは自由意思)、やがて自分でコントロールが難しくなり、その思いが執着に変わり、その執着に振り回されてしまうことがあります。それらの執着へと変わった思いが、自分の本質である、無限意識を徐々に覆って行き、本質を忘れた自分、いわゆる偽我の自分を堅固にし、その偽我を生きることになるのだと思います。このまとわり付いている執着を取り除くことができるのは、自分以外の誰でもなく、自分自身だけなのです。それには、たくさんの気付きが必要で、完全に執着を取り除くまでには、多くの輪廻転生を繰り返すのだと思います。人によっては、何万回にもなるかもしれません。本質を忘れて、何かに錯覚した自分である偽我がいくつものカルマを創り出し、そのカルマを偽我の自分が取り除こうともがいても、それはできないのだと思います。つまり、自分の本質を見失って錯覚したままでは、真の解決には至らないということなのかもしれません。だから、反省する時間を与えられている、この肉体を纏っている間に、真我に目覚めることが必要ということです。その真我状態になった時点ですべてのカルマは無くなり、輪廻転生も終わるのだと思います。つまり、自分の本質は何であるのかを知りたいという意思を持つことから始まり、それを追求する努力をし続けることで、やがて自分の本質に至る事ができるのだと思います。要するに、その意思を持たないと、そちらへと働く命のエネルギーが働かないということです。自分自身がどの様な意思を持ち、何を意識するかが大事だということです。命のエネルギーはすべてに平等に働くからです。意識をどこに向けるかがいかに大切なことかが分かります。
今の世界の状況は、そう言った意味で、完璧だということです。一人一人の向けた意識の具現化が、正確に現れているからです。しかし、地球の波動が変化してきたら、それに合わない人はそこにはいられません。否応なしに移動することになります。たぶん、それが今起きていることです。気付くか気付かないか、気付いたら、どうするか、それは各々の意識をどこに置くかです。そして、それは、自由意志だということです。自分が望まないことは与えられないということなのだと思います。逆に言えば、今の自分の現状というのは、自分が望んだこと、意識したことの表れなのかもしれません。

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