染まらない自分
「闇の中で闇に染まらない自分でいること」それはどんな時でも揺れないこと、静心を保つことです。
では、染まらないで生きるにはどうしたらいいのでしょうか。場の雰囲気に合わせることや、他人の意見を聞くこと、ルールに合わせることなど、それらに対して自分の考えが違うから全く合わせない様なことでしょうか。その様に、ただ、”私はやりません”だったら角が立つだけでしょう。ならば、闇の中にいて闇に染まらない自分になるには、どうすればいいのでしょうか。
それには、”私はこう思います。あなたはどう思いますか”というやり取りが冷静にできるかどうか、そのそれぞれの思いを調和させる意思をお互いに持つこと、その様な場を大切にすることが前提になると思います。そんな悠長なことを言ってたら何も進まないと考えて場を乱す様なことをする人は、自分の思いを強制していることになります。自分が強制的にやられたら嫌なのではないかと思うのですが、そんなことをあたりまえの様にする人がいるのです。過去に、私もその様なことをしたことがあるので、そうする人の心理状態が分かります。もう今は強制的なことはしません。
強制的行為は、それをされた側は、初めに怒りから始まり、思いが通らなかっただけならまだいいと思うのですが、怒鳴られたり、脅されたりして強制的に自分の思いを排除されたら、恨みに発展するかもしれません。その場で堪えても、心の隅に小さな闇として残るかもしれません。それはいつか、縁に触れた時に顕現します。その様な種を心に一点でも持っていると闇に染まってしまう可能性が高まります。その様な闇には、嫉妬などの思いもあると思います。この様な不調和な想念が渦巻いているのが、私達が生きているこの世界です。自分が放つ波動は嘘をつけません。心にその様な不調和な想念があれば、縁に触れた時に現れます。だから、その自分の心の闇に気付いたら、意識して消さなくてはなりません。どの様にやればいいのかを自分で考えて努力し続けるしかありません。そんなこと出来るはずないと感じる人も多いかと思うのですが、いろいろなことが理解できる様になるにつれて、少しずつ出来ると感じる様になると思います。そうして少しづつ理解してくると、この様な様々な不調和な想念の波動が入り乱れる場にいても何の影響も受けない自分になると思います。なぜなら、自分の波動が不調和な波動と合わなくなるからです。電波と同じで、自分の波動が調和的ならば、不調和な波動をキャッチしません。要するに、自分がどの様な波動を放つかが重要だということです。その調和的波動とは、優しさや、思いやりや、他を生かす思い、他人に強制しない、などのことです。それらの思い、言葉、行為は、誰もが良しとするものではないでしょうか。心地良いものだからです。
それらに基づいた思い、言葉、行為を毅然と行うことが”染まらない”ということなのでしょう。”なんとなく”とか、”みんなやっているから”、”損得”などの思いからする三行為が、
“染まる”ということなのでしょう。
しかし、きちんとこれらのことをいついかなるときでもできるでしょうか。ここがある意味分かれ道なのかもしれません。つまり、自分で調和的になるという意思をきちんと持つかどうかです。出来ないと思うならできません。無理と思うなら無理です。それは良い悪いを言っているのではありません。やろうという意思を持ったらやればいいし、やる意思を持てないならやらないだけということです。しかし、その一人一人の思い方が集合意識レベルを変えるのだと思います。レベルとは、高い低いではなくて、どの様な状況かを言っています。
今までの状況は、きちんと調和を図ろうとする人は、無視されたり、いじめられたり、地位、名誉、金銭的に不利になったりするものだったのではないでしょうか。なぜでしょうか。それは、権力を持つ人達とそのminionsの強制の力が働いてきたからです。残念ながらまだ続いている様に思われます。この残念な状況を変えるには、一人一人が調和的三行為を毅然として行う意思を持つかどうかです。そしてその意思を持つ人の数が増え続けることが重要です。つまり、今までの強制的統合を認めないことです。強制的統合とは、一人一人の自由意思を無視した行為です。
しかし、私は、これからは、お互い納得した上での、いわゆる融合の社会というものに次第になってくるのではないかと思います。今の世の中には”よく原因は分からないけど、なんだかもう疲れた”と感じている人が多いのではないでしょうか。私には、生きることに疲れてしまっている人が多い様に見えるのです。それは、強制的統合を暗に認めてしまっているからだと思うのです。しかし、いろいろよく調べて考えてみると、私達人間は、もっと楽に生きられるのです。そうしていいし、できるのです。そして、その様に変わるには、集合意識のレベルがその方向へ変わらないとそうなりません。要するに、”一人一人が責任を持って、自分を修正しないと変わらない”ということだと思います。なぜなら、強制的に他人の思いを変えることはできないからです。自分を変えられるのは自分だということです。
染まらない自分でいるには、”やさしく、愛に溢れ、互いに思いやり、他人に強制することなく、自分の好きなことをきちんとやる”ということを意識して生きること、つまり、どこにいても愛そのものを生きる、これが大切なことなのではないでしょうか。そんな理想的なことばかり、と思ったら、現状は変わらないと思います。
私達人間にとって一番大切なことは、調和的思いや、優しさや思いやりや強制しないことなど、「愛そのものを生きる」ことができているかどうかだと思います。
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