殺して生きる時代の終わり、生かして生きる時代へ

意識

殺して生きる時代の終わり、生かして生きる時代へ
 「一瞬一瞬、愛そのものを生きること。それは愛の波動を放つこと」
 これが、この世のすべてを飲み込むことができる唯一の方法なのかもしれません。愛そのものを生きるとは、”すべての幸せ、喜びを願い、すべての悩み、苦しみが取り除かれることを願い、すべてを許し、すべてを愛し生きること”だと思います。
 私達人間の生き方を見つめてみると、その思い、言葉、行為に何が見えるでしょうか。家庭、学校、会社、サークル、町内会、議会など、人が集まる所での一人一人の思いは、どの様なものが多数を占めているのでしょうか。
例えば、学校を見てみると、特に義務付けされてないのに、なんとなく毎日学校へ行かなければならないと思ってしまっている人は多いと思います。その様な現状を来していることには、どこかの誰かの、特定の動機がある様な気がします。子供達には個性に応じた教育を受ける権利があるのに、一律的なカリキュラムを受けるのが義務の様になっているのはなぜでしょうか。また、何の為に勉強しているのか、さらに塾にまで行き知識を詰め込むのはなぜでしょうか。
それは、限定された特定の知識を詰め込み、それらをどれだけ詰め込む事ができたかをテストで測り、その点数で順位を決めて、どこかの誰かが決めた一定の流れに沿って生きる様にするためなのかもしれません。私には、このどこかの誰かが作った”流れに乗れるかどうかで人生が決まる”などと思っている人が多いのが現状であるように見えます。この様に考えている人々があらゆる場所で多数を占めている様な気がします。その思いの中には”他に勝たないと良い暮らしができない”というものが時間をかけて醸成されてしまっている様にも思います。その漠然と蔓延している共通認識は、子供によっては脅迫観念になるかもしれません。”その流れ”から逸れたら終わりという思いに押し潰されそうになる人は、学校に限らず、会社などや、他にもたくさんいるのではないでしょうか。
それなのに、”流れに乗れ、乗らないと大変なことになる”などと、さらに親が嗾しかけ教師が嗾しかけたらどうなるでしょうか。それは大人達の不安感や恐怖心を子供達に投影しているのかもしれません。そしてそんなことを続けられたら、子供達は周りが見えなくなるかもしれません。前にも行けず、後ろにも行けず、右にも左にも行けないとなったらどうなるでしょうか。
どうしてこうなるのでしょうか。なぜなら、その流れは、個性を無視した一律的な流れだからです。私達人間は一人一人個性を与えられており、またそれぞれの役割があります。だから、そんな一律的な流れが嫌だと感じたら、無理して従わずに、自分の個性に合った別の道を探した方が楽で愉しいと思います。その意思を持ったら、逆境に耐える忍耐力が必要であり、それを行動に移す勇気も必要になります。そして一番大切なのはそれを続ける努力だと思います。
なんとなく共通認識の様になっている”他人に勝つ方法”ばかり考えていると、そのうち、その為の手段を選ばなくなるかもしれません。そうなると必ず争いになります。生きる為に他を蹴落とすことに行き着く場合もあります。その極地が戦争です。これが、殺して生きる生き方です。やられた方はやり返し、またその逆が起こり、また、と繰り返しになりいつまでも終わりません。だから、自分の生き方がどの様なものなのかを見つめることは非常に大事なことなのだと思います。他人の生き方をとやかく言うことではありません。自分の生き方を責任を持って正すことです。修正できるのは自分の生き方だけです。他人にできるのはアドバイスくらいです。だから、必然的に自分の内側を見つめることで忙しくなり、他人を批判したりする時間などないはずです。自分を見つめる人は次第に他人を裁かなくなります。
この様に見てくると、私達人間は気が付かないうちに、自分の利益の為に、他人の足を引っ張ったり、蹴落としたり、傷つけたりという様な、他を殺して生きることをして来たのかもしれません。
自分が、思い、言葉、表現などを通して放った波動は、必ず自分に戻るという法則に基づいて考えてみると、その様な、”殺して生きる”という生き方をしたら、いつか必ず自分に戻るのだと思います。つまり、幸せに生きていきたいのなら、他を”生かして生きる”ことをすればいいのだと思います。
この様な話を聞いて、人それぞれいろいろな受け取り方があると思います。それは、息苦しいと感じたり、その通りかもしれないと感じたり、そうしようかなと思ったり、全く受け入れられない人もいると思います。それはただその人の思いですから、それが良い悪いではないと思います。ただ、その感じ方で、自分の意識がどの辺りにあるのかが分かると思います。
私は、周りがどうあろうが、生かして生きることを自由意思で選択して生きています。それは、人に対してだけではなく、自然や、動物、植物などすべてに対してです。因みに、私には、今まで人間が自然に放ってきた波動が、どんどん戻ってきている様に感じるのです。最近のハリケーンや地震などの凄まじさは、人間が放った破壊の波動が戻って来ているのだと思います。
私は、”すべてを生かして生きる”のが人間の役割なのだと思います。その思いが、しばしば横に逸れそうになる時もありますが、責任を持って修正する努力を続けて行くことが大事なことだと思います。そして、これが修行そのものなのではないでしょうか。その修行の為に、特別なことや場所などを探す必要はなく、今自分が置かれているところが最適な場所なのだと思います。そこで、他を生かして生きることを意識するかどうかで次が決まるのだと思います。






コメント

  1. LiairlNiz より:

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