自分で選んだ今を見つめる

意識

自分で選んだ今を見つめる
 私達人間にとって大切なことは何でしょうか。そんなことを改めて考えてみると、”なんだかよく分からない”という感じになるのではないでしょうか。大切なことはたくさんあり過ぎて、どれを選ぶか迷ってしまうという人もいるでしょう。いくつか挙げられるという人もいるでしょう。また、はっきりと、これですと言い切れる人もいるかもしれません。私は、はっきり言い切れる人のことを、なんだか羨ましい気がします。そういう人は、あまり迷いがないのかもしれません。
私は、今に至るまで、人間にとって大切なものは何だろうかということを何度も考えて来ました。それは、社会的成功、経済的成功、それらを基本にした家庭、健康、幅広い交友関係、慈善活動など、まだまだ他にもたくさんあると思いますが、あれこれといろいろなことを考えて来ました。
しかし、私が実際に歩んできた道は、それらの頭に描いたものからはかけ離れたものでした。俗に言う理想と現実は違うというものです。自分では、その時々の理想を求めて、必死に努力し生きているつもりでした。でも、なんとなく、いつも地に足がついてない感じがしていました。なぜそんな気持ちになっていたのか、今はその理由がよく分かります。
それは、”自分で選んだ今を見つめていなかった”からです。自分で選んだ目の前の現実を見ないで、期待に過ぎない未来の理想を見ていたのかもしれません。その時々の今が、まるで偶然目の前に現れているかの様に考えていました。それでは、都合良くいかなければ、誰かのせいにしたり、運が悪いと思ったり、思い詰めて運命と感じたり、もっとそれが高じると宿命などと感じるのもあたりまえなのかもしれません。自分の外側ばかり見て、内側を見ていなかったということです。
今というのは、自分で一瞬一瞬選択した結果として現れている事象だと思います。その原因になることを自分がいつ選んだのかは分かりません。1年前なのか、10年前なのか、それとも100年前なのか、1000年、もっともっと前なのかは分かりません。でも、それは絶妙なタイミングで今結果として現れているのだと思います。絶妙なタイミングとは、自分の魂の成長の為に必要なこととして現れているという意味です。そして、それに対して自分がどの様に対処するのか、何を選択するのかで次が決まるのだと思います。目の前の事象に対して、しっかりと向き合って丁寧に対処するのか、逃げるのか、適当にやり過ごすのか、選択肢はいろいろあります。どれを選ぶかは自由です。しかし、何を選んだのかで、次の展開が作り出されるのです。要するに、それなりのことになるということです。今起きていることに偶然は無いのです。だから自己責任なのです。原因は我にありです。なんて神の法則とは完璧なのだろうと思います。
私達人間にとって大切なことは、自分が、一瞬一瞬何を思い、それに基づいて何をどの様に語り、それらをどの様に行動で表現するのか、ということではないでしょうか。なぜなら、これらをどうするかで目の前に現れる事象が決まるからです。
 これからどうしたいですか。自分や、社会や世界を、また地球をどうしたいですか。私達一人一人、それぞれに様々な思いがあると思います。そして、その思いを実現したいのであれば、自分で選んだ今をきちんと見つめて、それに対してしっかりと向き合い、丁寧に対処することが大切だと思います。それが本当にできるかどうかです。

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