己を修正するという視点
世の中を変えたい、なんとか平和な世界にしたい、差別、貧困、争いなどのない世界にしたいという人は世界中にたくさんいると思います。少しでも平和にしたいという思いから、毎日世界中で多くの方が、どうしようかと頭を悩ませているのではないでしょうか。しかし人間は、毎日毎日大小様々な争いを繰り返しています。なぜなのでしょうか?
その核心的理由として挙げられることの一つに、私達一人一人の中にある、他との分離感というのがあるのではないでしょうか。
私達人間は、分離感を持つと、そこから支配欲が生じ、さらに独占欲へと至りそれらの欲望を満たす為にあらゆる策を巡らせるようになります。そして戦争へと至ります。この様な人達は、もっともらしい理屈を何だかんだつけては争い、なんとか支配しようとしてきました。この様に人類は本当に長いこと争いを繰り返して来ました。その過程でいかに敵(と見做した人達)を打ち負かすか、そんな余計なことに莫大なお金や時間や労力を費やしてきました。相手を降伏させるだけでは飽き足らず、遂には殲滅させることまで本気で考える人達まで現れました。その様な人達の中には、今も堂々と人口削減を目指してあらゆる策を巡らせている人達もいます。気が触れているとしか言えません。しかし現実にいるのです。いわゆる”普通の人達”も、意識してなのか無意識なのかは分かりませんが、その策に加担する様な生活をしていたりするのです。その様なシステムに属するとなかなか抜け出すのが難しくなります。なぜなら抜け出すと生活がままならなくなるからです。つまり、支配を目指す人達は、お金をコントロールし、水や食糧やエネルギーなどをコントロールし、世界中の人々が自分達の言うことを聞かないと生活が難しくなる様にしているのです。最近もよくMSMで盛んにエネルギー価格高騰、食糧価格高騰の話題を目にしますが、この背後にいるのがこれらをコントロールしている人々です。だから本当はMSMの煽りを真に受けて大変だ大変だと鵜呑みにして騒いではならないのです。彼らの思う壺にハマってしまいます。
彼らは、この様な馬鹿げたシステムを長い時間をかけて作り上げてきました。このシステムに所属すると社会的地位、名誉、お金や財産を安定して受け取れる様になり、その面から見れば成功した人生と見えるかもしれません。よく考えてみると制限だらけで不自由な生き方を強いられるシステムであることが分かります。それらはつまり、奪って生きる考え方のシステムであり、お互いに与えながら生きるという考え方のシステムではありません。少し強い言い方をすると、生かして生きるシステムではなくて、殺して生きるというシステムです。しかし、奪いながら生きるというのは大変です。いつも気持ちが落ち着きません。反対に、与えて生きるという考え方のシステムを皆が取り入れたらどうでしょうか。お互いに必要なものが手に入るので、ゆったりした落ち着いた社会になるのではないでしょうか。因みに「美しき緑の星」という映画には、この様なゆったりとした社会が描かれています。それ故に時の権力者に上映禁止にされたのだろうと思います。
現状を見てみると、この支配欲に駆られた人たちは、自分達が管理しやすい数まで人口を減らそうとしています。人口削減をしなければならないとする理由を、食糧問題、エネルギー資源問題、環境問題として、それを実現しないと地球が滅びてしまうかの様な論理を次から次へと出し続けて人々の恐怖を煽り続けています。自分達が管理するのが大変だから人口を減らす。簡単に言うと、何らかの手段でたくさんの人を殺してしまえということです。完全にクレイジーな考え方です。この様な人達から見て、役に立つ人、立たない人の基準は何でしょうか。どんな基準で生かす人、生かさない人を決めるのでしょうか。
私は、おそらくこの様な人達は”己を省みる時間”など持たないのだと思います。発想すらないかもしれません。人間とはどこまで傲慢になれるのでしょうか。差別意識を持つ自分に気付かないと、心がどんどん分離感で満たされていくのかもしれません。そして、自分は特別な存在だと錯覚するのだと思います。自分は、誰彼よりも偉いのだと。そうなると、自分に都合の悪い人をいらないなどと考えてしまうのかもしれません。
私達人間は分離感を”自らの努力”で消去しないと些細なことから対立し始めます。他を(強制的に)変えるという気持ちがあるうちは争いは無くならないと思います。繰り返しますが、”自らが変わろうと努力すること”が基本だと思います。そして、心の中に汚れがあると気付いたら、それをよく見つめて、なぜ間違いなのかということを正しく解釈した上で消去しなければならないのだと思います。それを繰り返すことで、心から一点の汚れも無くなった時が”完成”ということであり、その時初めて本質・根源と融合し、無限の至福に至るのだと思います。ここに至るには想像を絶する努力が必要になると思います。
私達人間は、今すぐにでも、”他を変えようとするのではなくて、己を修正する”という視点に立たなければならない時に来ているのだと思います。なぜ生きるのかという意味が、己を修正するということにあると気付く人が増えれば地球は安定してくると思います。それは他人の粗探しではなく、己の修正に目を向けるということです。一人一人がその視点に立てば間違いなく世界は変わります。
要するに、”真の平和は我が内にあり”です。
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