考えさせるスタンス、考えさせないスタンス
私達人間の現在の生活の仕方を改めてよく見てみると、朝から晩まで非常に忙しくしている人が多い様に思われます。それが良いとか悪いとかを言いたいのではありません。しかし、流されて仕方なくそうしていると感じる人は少し自分の内側に注意を払ってみたらいかがでしょうか。何かの気付きを得られるかもしれません。
世の中には、本当はもっとゆっくりしたいと思っている人の方が多いのではないでしょうか。でもそんなことを言うと、今の生活を維持できないとか、生きていけないとか、みんなそうしているとか、”社会制度がそうなっているから仕方がない”とか、人より良い生活をする為には働いてお金を稼ぐしかないなどの意見が出てくると思います。そこで、もう一度、”本当に今のそんなに忙しい毎日を自分は望んでいるのだろうか”と自らに問うてみるのも良いかもしれません。もしかしたら、”ゆっくりいろいろと考える時間も体力も無くしている”ことに気付くかもしれません。
テレビなどの”MSM”は、特定の人達の意向に合う様に世論を誘導しようとします。「この様な意見が多数派であり、この様になってくるでしょう」とか、「これからはこうなるでしょう」とか、いわゆる専門家と称する特定の肩書きを持った”えらい人”を前面に出して、ある考え方が一般大衆に浸透するまでやり続けます。そんな煽りにも似たやり方に乗せられて、”世の流れ”に乗るために、我先に乗らないと人より先に行けないとの思いや、世間一般からズレてしまうとの思いから、なんとなく誘導に従ってしまう人もいるのではないでしょうか。もしそうならば、それは、どこかの誰かの都合の良い世界にする為の策に乗ってしまっているのかもしれません。
例えば、”MSM”は、「これはもう時代遅れだからやってはいけない」とか、「女性を差別している」「男性を差別している」などと、片方を”差別的”などと”悪者”に仕立て上げ、それ以外を救うといった構図を作り上げ、その考えを一律的に推し進めたりしています。その考えに異を唱える人達を反社会的に仕立て上げて、メディアを使い槍玉にあげるなどして、社会的にそれらの声を封じ込める雰囲気を作り上げています。もしかしたらそれが目的だったりするのかもしれません。つまり社会的混乱を作るのが目的だということかもしれません。混乱による不安や恐怖によって世論の誘導が容易くなるからです。この様なやり方は、自分の物差しではかり、それはダメと否定したり、強制するものです。そこには優しさも思いやりもありません。今まさに具体的な例として、Twitterが露骨にその様なことをしていたということが、イーロン・マスクの買収により明らかにされている様です。他のMSMも同じ様なことをしていた様です。これから明らかになり大騒ぎになるかもしれません。アメリカなどでは、反逆罪に問われたら極刑です。
この様なことに巻き込まれない様にする為には、もっと自分の真意を確認する時間を作る努力をして、しっかり真意を自覚することです。そうしないと、テレビや新聞やネット等で流されている”流行り”に乗せられて、フラフラして自分軸が定まらなくなってしまう恐れがあるのです。思わぬことに加担していることになるかもしれません。
権力大好きチームの様な、どこかの誰かからすると、人々が考える時間を持つと思い通りにするのが困難になります。そうならない様にする為に、彼らは人々をなんとか考えさせない様にするにはどうすればいいか、その様な策を絶えず練り続けています。
その策の一つが、とにかく人々を忙しくさせることなのです。考える時間や体力を持たせない様にするためです。私達は、まんまと長い間その策に乗せられてきてしまった様に思います。中には権力者の仲間になりたいなどの理由で、そうしたくてしてきた人、または強制的にさせられてきた人、よく分からず何となくそうしてきた人など様々でしょう。
もう一つの策は、あらゆるもっともらしい理由をつけて、税金や社会保障費など、支払いを否定しずらい項目を作り、働いて得たお金からできるだけ吸い上げてしまうシステムを作り、それをジワジワ拡大することです。いくら働いても半分くらい持っていかれたらキツイですね。しかも集められたそのお金の使途は不明瞭ときています。それでも仕方がないとする人が多くなる様に日々”専門家”を使いテレビ等で誘導しているのです。
さらにもう一つは、せっかくできた自分の時間を、3S(sports.sex.screen)に夢中にさせる事で奪うというのがあります。だから、大リーグやハリウッドスターの報酬が何十億、何百億なのでしょう。その対価が、どこかの誰かの言うことをきくことなのかもしれません。スターなどに憧れたりする人は彼らの言うことや、やることを盲信する傾向があるのではないでしょうか。つまりスターを手下にして思い通りに使えば、世論の誘導がし易くなるということです。
この様に、この世界を冷静に見てみると、私達人間にとって一番大切な”自分の内側を見つめる”ということを忘れてしまう様にしたり、やりずらい様にする社会システムが、長い年月をかけて構築されているのが分かります。このシステムは、私達人間の総意ででき上がっています。どこかの誰かの提案を暗に受け入れている現実があるのかもしれません。この提案に対する賛否は、それぞれがどう思うかだということになります。つまり今は受け入れている人が多数派だということになるのだと思います。だから、本当はおかしいと感じている人達の中から、勇気を持って自分の真意に基く行動を取る人が増えれば、それなりに変わるでしょうし、このままで構わないとする人が多ければそれなりに現状が続くのだと思います。つまり、大切なのは、それぞれが内観する時間を十分に持つ努力をして自分の真意を自覚し、それを行動にまで移せるかどうかです。それができないと、自分の真意とズレたところで生きることになり、精神的に落ち着かないまま毎日が過ぎて行ってしまうのではないかと思います。これでは世の中に放たれる波動は不調和なもので満たされてしまい、なかなか落ち着かない世の中になり争いも絶えないのではないでしょうか。 結局、一人一人の意識がどの様な状態なのかで社会のあり方は決まるということです。
だから、ゆっくりじっくり考えるということはとても大切なことなのだと思います。それはダメ、あれはダメとすぐに断じるのではなく他人に考えさせる一呼吸が大事なのではないでしょうか。つまり「私はこう思います、あなたはどう思いますか」という様なあたりまえと思われていることが、自分の中できちんとなされているかです。どうでしょうか、毎日のやりとりでそれがきちんとなされているでしょうか。それとも、そんな悠長なことを言ってたらなんとなく生活が成り立たなくなりそうで不安だから、そんなことはできないと思いますか。世間の風潮が、人々がじっくりといろいろ考えられる風潮になるか、それとも何も変わらず、忙しく働かなくてはならない様に仕向けてじっくり考えさせない様にするか、このどちらのスタンスを選択するかで、これからの自分の置かれる環境が変わると思います。
私達人間の生きる理由とは何でしょうか。それを見失ってしまうと辛いと思います。だから、自分の内側を見つめる時間をできるだけ多く取る”努力”が大切なのだと思います。私達人間は、自分の一瞬一瞬の選択で自らのこれからを決めています。ならば、真意を確かめながら一瞬一瞬選択していかなければどうなるか分かりません。納得いかないまま過ぎていくだけなら辛いままかもしれません。
私は考えさせる選択をしています。なぜこんなことが分からないのといった、もどかしくもあり辛い時もありますが、自由意思の尊重と選択の自由が大切なのが分かっているからその選択をしているのです。それがその人にとって必要な経験であり、それを乗り越えなければ前に進めないかもしれないのです。だから、一時の自分の欲望の為に他人に考えさせない選択はしません。
考えさせるスタンスと考えさせないスタンスのどちらを取るかで、これから自分の目の前に現れる事象が全く違ってくると思います。
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