ものの見方と生きる姿勢

意識

私が大事だなと思っていることです。でも、みんな違ってていいと思ってます。

こういうものの見方、生きる姿勢じゃないとだめということはないです。

語弊がある言い方になるかもしれませんが、それでいいんです、これでいいんだ、です。

以前、「祈り」というお話の中で、「どうぞなるようになりますように」その起きていることに対して、「それがどうのような状況でも、世間一般的に良いことでも、そうでない事でも、しっかりと向き合って、丁寧に対処することが大事」と書きました。

やはり、これって大事なことだと思います。

なぜか。例えば、波長の合う人とばかり付き合っていると、楽しくて、楽ですよね。

でも、自分の進歩というか変化というか、自分を広げることに、なかなかつながらないような気がします。

じゃあ、どうすればいいのか。やはり、「それがどのような状況でも、、、、、、丁寧に対処する」という事を淡々として行くのも有効なことだと思います。

そうすると、経験、体験が増えて、いろいろな感情を味わえて、泣いたり、笑ったり、怒ったり、妬んだり、泣いたり、もしかして、これが、生きる事の醍醐味なのかもしれません。

でも、目の前の事が本当に嫌だったら、逃げてもいいのですね。逆に逃げなくちゃダメな時もあるかもしれません。

なんだか、このように考えると、少し迷いが薄れるような気がしませんか?

やはり、今、という一瞬は、自分に必要なことが起きているということなのでしょう。

淡々といきましょうか。

私が好きな昔話があります。

「昔、あるところに、木こりがいました。彼は、無学でしたが、何不自由なく暮らしていました。

ある日、山で啓示を受けて、すべてを悟ってしまいました。

あくる日から木こりはどうしたかというと、相も変わらず、木こりをして暮らしました」

という話です。私はchieartさんの本で読んで、面白いなあと思った昔話です。

何だか、いいなあと感じる話なので、ご紹介いたしました。

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