得ること与えること

意識

得ること与えること
 今私達が生きている社会は、自分、家族、友人、会社などが、いかにお金などを得ることができるか、それも、どれだけ大きく得られるかに”働くこと等の動機”があると思います。お互いに分け与えるという共存、共栄、共生の視点ではなく、いかにお金や権力を身近に引き寄せるかという競争や戦いの視点です。もちろんそうでない方はたくさんいらっしゃると思いますが、それでも上記の様な視点は無いとは完全に否定することはできないのではないでしょうか。
 私は三十年以上の間、証券会社で仕事をしてきました。そこは、いかに大きく利益を得るかを絶えず考えている世界です。様々な策を巡らせて、合法的にいかに自分のところへお金を引き寄せる事ができるかをずっと考えています。それも、いかに効率良く稼ぐかということを追求し続ける、ある意味極端な世界と言えると思います。因みに、銀行もいかに貸し出しを増やすかということをしてきました。それは、少し語弊があるかもしれませんが、見方によったらいかに借金漬けを増やすかとも言えることをしてきたのかもしれません。もちろん資金ニーズがあるところと運用ニーズがあるところをマッチさせるという側面もあります。それが無かったら成り立たない社会なのかもしれません。とにかくお金が無ければ生きていけない、何もできないとどこかの誰かに仕組まれて、それを何となく私達は受け入れてきたのかもしれません。
様々な業界をよく見てみると、顧客ニーズを無理矢理作り出している様に見えるところがあるのではないでしょうか。もしそうなら、無理無駄が絶えず発生してしまい、様々な問題が次から次へと起こるのではないでしょうか。あえてその様なことをすることで、問題を解決すると称して無理矢理仕事を作り出してきたのかもしれません。これでは、平穏な日々など、ほど遠いことになるのではないでしょうか。また、収益を生むために時には強引になることもしばしばです。これらのニーズが人々の生活から自然に発生するものならいいのですが、やはりそうではありません。もしかしたら、マッチポンプの様なことをしている人達がいるかもしれません。やはり、何かがおかしいと感じます。
 現在の社会のあり方は、少数の人達の意向に基づいて、国連やBIS、IMF、世銀、WEFなど(もっとありますが)で決められた流れに沿って各国の官僚、大企業が動き、政治家がその流れをカバーし、MSMが情報統制して限定された情報だけを流し、その少数者の意向が通る様に何がなんでもします。それだけを(MSM)見ている人達は、無意識的にその情報を受け取り、人によっては何の違和感も感じず、ある特定の流れに沿って生きていくことになります。また、世にある様々な流行なども作り出されています。その様にして社会の流れが作られていくのです。何となくその流れに乗って違和感なく生活している人というのは非常に多いのではないでしょうか。
また、支配層は強引に自分達に都合の良い流れを作り出しますから、初期段階からその流れを察知し、その流れに乗れば、大きく儲かる確率が高くなるのです。ある意味インサイダー取引です。でも同じことをしても捕まる人捕まらない人に分かれます。とんでもないことだと思います。そして社会は、その作られた流れがどこに向かっているかは明らかにされないまま、普通の人々がどうなろうが関係なしに動いてしまいます。その為に支配層はお金を牛耳るわけです。つまり通貨発行権を支配しますから、それを掴んだ人達が世界を支配するということです。因みに支配層は食糧やエネルギーも牛耳ろうとします。今食品価格やエネルギー価格が乱高下しているのにはカラクリがあるということです。その真の理由をMSMは絶対に報道しません。なぜなら、MSMも彼らの持ち物だからです。
私達が住んでいる町や市、県、国などでも大なり小なり同じような構造になっており、いわゆるフラクタル構造になっていて非常に複雑なものになっています。これでは基本的に真の自由はありません。この構造下では権力者がどの様な人かで左右されてしまいます。たまたま優しい人ならば、平和に見えるかもしれません。その間は、人々はこれでいいそれでいいとしてしまいます。しかし、全体主義的な人が来たら大変なことになります。彼らは飴と鞭を使い分けて人々をコントロールしてきました。それも人口が多すぎるとコントロールしづらくなるとの理由で彼らは人口削減を謀っているようです。今は全体主義へと猛スピードで向かっているところなのです。でも私達人間は、自分の身に振りかからないとなかなか気付かないのです。人々の中には権力側に付こうとする人が多いのも現実だと思います。この様な危うさに気付かせようとして活動している人もたくさんいるのですが、権力者達に巧みにガードされたり存在を消されたりしているとの情報もあります。
何を言ってるのと感じる人も多いでしょう。この様な話はテレビでは絶対に報道しませんから拡散しないのです。だからこの様な話をするとアタオカと言われるのです。このフレーズも使い様ですね。テレビと違う意見を言う人はアタオカとすれば言論を封じ込めますから。まあ、ある程度ですが。
人間とは、自分が弾圧される側に実際にならないと分からないのかもしれないと、たまに思いたくなります。要するに、自分でいろいろ調べたり、内側から来る本心に注意を払わないといつか大変なことになるのです。今はもう既に世界中で大変なことになっていて、人々が反撃に出てる様ですが、テレビでは全く報道しませんから認知している人は少ないかもしれません。それでも以前と比べるとかなり増えてきている様です。ペルーやブラジルなどでは大変なことになってますが、テレビでは全く報道しません。なぜなら権力者達には不都合だからです。
つまり、”得よう得ようとする生き方”は、今の様な世界を作り出すというわけです。経済学でもこの様に教えているから困ったものです。本当は”与える生き方”が平和への道だと思います。なぜか?与える人が一人でも増えていく社会を想像してみて下さい。お互いが与え合う生き方、これがスタンダードになったら豊かになると思いませんか。
 いろいろ言いましたが、本質根源的には”すべて我なり”なのです。一人一人の気付きが一番大事なことなのです。それが無ければ絶対に平和にはならないと思います。
私達人間が”すべて我なり”の境地に至れば、無限の至福の感覚を味わうのだと思います。しかし、自分だけではダメなのです。しかも一人も欠けてはならないということです。だから、一人一人が責任持って自分を修正することが重要だと思います。私もそうすると同時に、少しでも兄弟姉妹の幸せになることを無理せずしていきたいと思います。

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