地球で生きるということ

意識

地球で生きるということ
 私達人間が、地球で心地良く暮らすためには、地球の法則に則った生き方をしなければなりません。そして、その様な生き方をするという意思を一人一人が持つ様になって、初めて平和が訪れるのだと思います。
 私達の肉体は地球の環境で使える様に作られています。そのままでは地球の条件以外では使えません。私達は、その(借りている)肉体を自分の本質(命)を表現するための道具として使っています。肉体は、地球の法則に適応出来ないと不調を来したり、壊れてしまうこともあります。いわゆる病気や肉体死ということです。あたりまえのことを言っている様に聞こえるかもしれません。でも、このあたりまえなことを改めて確認しようとする人は意外に少ない様な気がするのです。
 地球には、朝、昼、晩があり、春、夏、秋、冬があり、また一年中暑い所、一年中寒い所などもあります。夏至があり冬至があります。干潮があり満潮があります。それ以外にもたくさんの法則があります。すべてが、それらの法則に基づいて、それぞれお互いに絶妙なバランスで作用し合っています。そして、私達人間には、昼間や夜間、また季節ごとに、その時その時、本来やるべきことがある様に思うのです。朝や昼や夜、季節などがあるのには、何かしらの理由があるのではないでしょうか。それは何でしょうか。たぶんそれは、”調和の大切さ”を知ることだと思います。すべては、お互いに作用し合って地球のバランスが保たれ、宇宙のバランスが保たれています。一つ変わればすべてに何かしらの影響を及ぼします。動物、植物、鉱物などや微生物に至るまで、人間以外のすべてはこれらの法則に則った生き方をしている様に思います。しかし、自由意志を濫用する人間は、自分の都合で法則を変えようとしたりしてバランスを崩しています。その結果、様々な反応が己に跳ね返り自らを苦しめているのだと思います。その様なことをする人間の思いが、私には傲慢に見えたり、迷路を彷徨い歩いている様に見えるのです。法則に従えば楽で愉しく暮らせるのに、一時の欲望の為に分離感に迷い、支配欲にとらわれたりしています。それそのものが迷いであり、それが原因で傲慢なことをしてしまっているのかもしれません。その迷い人の代表の様な人達は、何年も前からSDGsを推し進めていますが、これなども法則を破壊する顕著な例だと思います。
私達人間は、その様な世間一般的に良いものとか悪いものなどとされる、”実に様々なもの”を創造して今に至っています。それらが、調和的なものであれば快適に感じると思います。また、不調和的なものであれば不快なものに感じると思います。
今自分はどの様に感じているか見つめてみて下さい。いかがでしょうか。快適さを感じていますか。それとも不快な感じを抱いているでしょうか。また、楽で愉しく暮らせていると感じているでしょうか。
 それらの”実に様々なもの”には、私達人間を楽しませてくれるものから、支配欲に駆られて人を殺す武器や建物を壊すミサイルなどもあります。その他にもありとあらゆるものが創造されてきました。その創造の元になるのは、私達人間一人一人の”思い”です。”すべての喜び、幸せの為に”という思いから創造されたものは、その思いの波動に基づき顕現しますから”調和的波動”を放ちます。また、武器の様なものは、”分離感”という破壊的な波動に基づき顕現しますから、”不調和な波動”を撒き散らします。そして私達は、自分の放つ波動と同じ様なものを引き寄せています。
改めて自分の周りを見渡してみると、どんな人やどんなものに囲まれているでしょうか。「なぜこんなにも真面目に生きているのにこんな環境や境遇なのだろうか」、「なぜこんな人が近くにいるのだろうか」などと感じる人も多いのではないでしょうか。私もしばしばそう感じることがありました。では、なぜその様に感じることが度々起きるのでしょうか。
それは、ある法則に気付いていないか、忘れているとその様に感じることがあるのです。その法則とは、”蒔いた種はいつか必ず発芽する”というものです。目の前の事象が今生蒔いた種ではなくて、ずっと前の生で蒔いた種が今生何かの縁に触れて発芽したものかもしれません。でも、私達はいつ蒔いたのかなどということは忘れていますから、なぜ私ばかりこんな目に遭うのだろうかなどと思ったりするのです。過去生を思い出せればいいのですが、ほとんどの人は思い出せません。もし思い出せなくても、”蒔いた種は自ら刈り取るしかない”というのが絶対法則ならば、やはり自分の目の前の事象から逃げずに、しっかりと向き合って丁寧に対処するしかないのだと思います。その対処自体が”自ら刈り取る”ということになるのだと思います。対処する際に大切なのは、どの様な”思い”を持って対処するかです。私は、”すべての喜び幸せを願い生きること”という思いが大切だと感じます。しかし、私達人間は、その時々に抱く感情や五感や理性に惑わされて、どうしてもこの”すべての喜び幸せを願い生きること”を忘れてしまうのです。そうならない為には、”私達人間の本質は愛そのものである”ということを、完璧に自覚する必要があると思います。完璧に自覚するとは、愛(命、本質、無限意識)そのものであること、そのものを生きることです。
 地球に生きる目的は、人それぞれいろいろあると思います。私は、何をさておいても”自分の本質を完璧に自覚するところまで到達する”ということが、私達人間がこの地球で生きる最大の目的だと思います。
「そのものであれ。そのものを生きよ」です。

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