答えを見つけるには

意識

答えを見つけるには
「必要なのは師ではない。最良の師は自分自身の中にあるのであって、そこにのみ自分の求めていることに対する答えを見出すであろう。」
これは、マクドナルド・ベインが著した「解脱の真理」の中に出てくる”ある聖人”の言葉です。一体何に対する答えかと言うと、それは、すべてに対する答えです。それをこの聖人は最良の師と言っており、それは自分の本質のことです。神我(真我)のことです。私達人間は、この唯一の実在を実感しなければなりません。人間だけがその様な”自分の本質を自覚できる”という特権を神に与えられている万物の霊長だと言う人もいます。故に一人一人が責任持って己の本質を自覚し愛の表現をしなければならないのだと思います。それを、真我(神我)覚醒、真我(神我)顕現と言います。
では、自分自身の中にある最良の師に辿り着くにはどうすれば良いのでしょうか。私がその方法として、これではないかなと感じているやり方は、簡潔に言うと”自己改善と直接知”を実践することだと思っています。具体的に言うと、それは、自分の日々の思い、言葉、行為を正し生きること、つまり、すべてを労り、すべてを思いやり、他を生かして生きるということ、愛生きるということを意識しながら日々自己改善し、その上で直接師に会いに行くということです。師を直接知ること、それを直接知と言っています。
その為には、毎瞬毎瞬自分の意識の状態がどうであるかを見張らなければなりません。自分の今の意識状態が把握できてなければ改善しようがありません。毎瞬毎瞬自分の意識状態を見張っていれば、何かの縁に触れて怒りなどの感情を持った時、その時の自分の意識状態を自覚できます。その様に、自分の心が揺れたところが改善するところであり、またそれが心の中にある汚れであり、今生の宿題ということになります。因みに、怒りを向けた相手とは、自分の汚れに気付かせてくれた感謝すべき人です。ですから感謝して宿題に取り組むのです。その人がいたから己の汚れに気付いた訳ですから。
要するに、一人一人が今生の限られた時間の中で自己改善することが一番大切なことなのだと思います。なので、他人をどうこう言っている暇はないということではないでしょうか。
 この様に答えを見出すやり方とは、日々の生活の中で、自分の目の前にあるやるべきこと(今の自分に必要なこと)をきちんとやりながら自己改善しその上で明想することであると私は思っています。自己改善してからでないとどこと繋がるか分かりません。怒りの波動は怒りと繋がります。恨みの波動は恨みの、嫉妬の波動は嫉妬の、ということです。だから、己の意識状態を把握することはとても大切なことなのです。意識状態を改善しながら明想した方が良いというのはそれが一つの理由です。つまり、一点の汚れがあれば神性意識とは繋がれないということです。
 中村寿子さん(youtube,hougyoku)という人がいます。上江洲義秀さんの元で長年学んだ方です。その人曰く、「明想する際、雑念は放っておきます。意識は眉間(アジュナチャクラ、本来は脳の中)に集中します。(肉の)目を閉じて、(眉間にある)叡智の霊眼(水晶球)より愛の白光放つ様をイメージしながら蓮華座の姿勢で背中をまっすぐにして座ります。(神を感じられるまで努力します。)私達にできることは努力だけです」と言っています。
因みに、ヨガナンダは、これ(明想)を何千年も研究されてきた科学的方法であり、自ら時間を作り何をさておいてもやらなければならないことと言っています。
この様に、それぞれが本質に向かうやり方を工夫してやり続ける努力を怠らないことが生きる上で一番大切なことだと、私は思います。
この様なことを言うと、人によっては息苦しく感じるでしょう。しかし、自己改善とは誰かにしてもらうことはできないのです。逆に言うと他人を変えることはできないということになるのではないでしょうか。できるのはアドバイスをし、その人の成長を願うことくらいでしょう。また、どんなに強制してもその人の意識を変えることはできないのではないでしょうか。できたと思っても、ただ従属しているだけかもしれません。面従腹背してるかもしれません。それでは共存、共栄、共生するのは難しく、調和的に生きることはできない様に思います。だから、繰り返しますが、一人一人自己改善する努力がとても大切なのです。すべてが平和に生きる為にはこの方法しかないのではないでしょうか。
ある聖人はこうも言っています。
「教義の解釈ではなく魂の自覚である。」
“外を見るな、内を観よ”です。正しい努力を怠らなければ、次第に迷いは取り除かれていくと思います。
“我内なる神と我とは一体なり”です。

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