・破壊的な考えを持つことなく、極端に走らず、調和と中庸の精神にあふれている人
・自らの内と外に壁を作らず調和を保ち、己の個性に執着することも他人を見下すこともない人
・周囲との絆を大切にし、自らを静心の状態に保ち、他人も自らと同じように大切にできる人
上江洲義秀さんの言葉です。
この言葉に沿って、今起きている世界的な企てを画策している人達を見ていくと、どのような人達なのか何となく理解できるかもしれません。
最初の文章から見ていくと、長い間にわたり、両サイドに武器を売って、戦争を煽り、大儲けして、その後しばらくすると、調停という名の下に、世界中から復興支援金を募り、そして自分たちの息のかかった企業を、その復興事業に当たらせ、ほぼ独占し、またまた大儲け、という破壊的なことを繰り返してきていますから、破壊的な考えを持つことなく、、、からは全く正反対です。ベトナム戦争、湾岸戦争、イラクへの侵略などたくさんあります。戦争へと煽って、極端へと走ってますので、調和と中庸にも全く当てはまらないです。
次の文章から見てみますと、格差を助長し、お金も勝手に擦り散らかし、インフレ、デフレをコントロールして、人々の生活を滅茶苦茶にしてきたこと、人種問題、男女問題などを、わざわざ騒ぎになるようにけしかけて、いろいろな人たちの分断を図ってきたこと、それもいまだに継続中であること、自分達のエリート意識に執着し続け、それ以外の人々を見下してきたことという事実が見えてきますので、これもまた正反対です。
最後の文章から見ていくと、これまた正反対です。周囲との絆は無視、自分たちの位置を保つために、いつも何か画策し、その為、人を信用できず、とても静心を保てる状態ではないでしょうから、全く当てはまらないですね。
書いていて、目まいがしてくるくらいに、凄まじい世界を形成し、よくそんな所にいられるなと理解不能です。気づき、が全然ないのかもしれません。
でも、もう世界の多くの人々も、疲れたのではないでしょうか。気づき、を得た人の方が多いと思います。
ですから、世界は変わります。
この3つの文章から見てきたことで、今、現実に進行中の出来事を画策している人達がどういう人達なのか、少しイメージできたのではないでしょうか。
3つの文章の人たちが、光、だとすると、この正反対の人達は、極闇、といった無数のグラデーションの両極に位置しているのではないかと感じます。
あくまでも、私の考えです。個人的フィルターのかかった思い込みです。そして、3つの文章は、こうなれたらいいなあという、私の理想的姿勢です。
でも、私はあまり難しく考えないで、目の前の事を、今の自分に必要なことが起きていると思って、淡々と努力し続けて、気づき、をなるべくたくさん得られるように、日々隣人たちと楽しくやっていこうと思います。
あるがまま、なるがまま、これでいいのだ、それでいいのだ、淡々と努力、です。
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