アセンション
それは、思い出す事、と画家のchieさんがおっしゃってました。
ジュネさんが言っていた、自分で描いたブループリントを思い出す事、または、たくさんの人が言っている、いろんなところに転生することによって楽しみを得に来ている、または、経験しに来ている事を思い出すという事でしょう。そういう本来の自分を思い出すという事です。
要するに、魂と表面意識の差をとる事という事です。
この差が縮まる程次元が上がるという事でしょう。
でも、毎日生活していると、腹の立つ事が多いですよね。言われのない悪口など耳にした日にはもう我慢の限界って感じのことがありますよね。
まあ、これも考え方次第でなんとかこなせます。精神科医師の越智啓子さんは、波動を下げない練習になると言ってます。確かに。
自分の事だけだったらまだなんとか消化できますが、たくさんの人達が犠牲になるかもしれないのが明らかにわかる場合などの怒りを消化するのは、なかなか難しいものです。
この一年は毎日毎日これでもかとふざけた振る舞いが続いており、その様な行為を臆面もなく、しれっとやり続けている人達に対する怒りを消化するのは至難の業です。
これも、自分で決めて来たことと割り切れば納得もいきますが、やはり、助けたいと思うじゃないですか。その本人がそれを経験すると決めて来ていて、やる方、やられる方合意の元で事が進んでいるという見方もあります。たぶん、それが真実な様な気がします。
やはり、あるがまま、なるがまま、流れに任せるという姿勢が良いのかもしれません。
大仰に、世界を救うなどと考えず、それぞれ目の前の事を淡々とすること、これなのかもしれません。
目的は、絶対にその人を救いたい、それだけなのに、全く当人に話が通じない事もあります。
気づく、というのはその人その人のタイミングがあるのですね。分かり合えないというのも、お互いの学び、ということなのでしょう。
今は,この様なジレンマに陥っている人がたくさんいるのではないでしょうか?
ワクチンの危険性を理解した人は絶対に打たないでしょう。でも、理解できない、または、理解しようとしない人は、流されてなんとなく打ってしまう。それで世界では多くの人が亡くなっています。
私の親類縁者、友人などほとんどの人が打ってしまってます。私は一応危険性を話しました。暖簾に腕押しという感じでした。鼻で笑われたという感じです。
でも、仕方がないです。なんとか自分の中で消化しようと努力している毎日です。
まだまだですね、偉そうな事言ってる割には。自分事になると大変です。
理解する事と行動する事とは天と地の差がある、という事は本当です。山田征さんの本に
あった言葉です。
やはり、行動、体験、感情を認識する、というのが大事なのです。できる範囲でです。
あるがまま、なるがまま、これでいいのだ、それでいいのだは、なかなか難しいです。
だからこそ、自分軸を意識しましょう。
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