お互い様
あなたがいるから、わたしがいる
あなたがいるから、今、この経験ができているということです。
どんなことも貴重な経験ととらえれば、目の前のすごく嫌な人も、実は、貴重な存在なのかもしれません。
だって、この人がいなければ、嫌な感情を味わうことができない訳ですから。
そして、すべての出来事は、ただそうなだけ、と捉えることができれば、いろいろなことをやり過ごせるかもしれません。今の世の中は特にそうかもしれません。
しかし、嫌なことに直面している、まさしくその時は、感情に囚われていてそんな余裕がある心持ちになれないかもしれません。なので、落ち着いているときにでも、ただそうなだけ、いろいろ経験して、感情を味わいに来ている、と少しだけでも認識できれば、執着だけでも捨てることができるのではないかと思います。さらっと流して次に行く、です。
「私」はなぜ、今ここにいるのか?それは経験をするため、ただそれだけ、退屈を紛らわしている、その為にお互いがそれぞれを演じている、ということです。ある意味楽しんでいるのです。
だから、それぞれが、あるがままでいいし、基本的にすべてなるがままでいいのでしょう。
本当は、人間争わずに生きて行ける、ということなのです。
それぞれの自由意志が尊重され、他人に強制することがないのが基本になります。
その基本から大きく外れた状態がとても長い期間続いてしまった地球ですが、もうすぐ基本に戻ります。愛は無限の生かしだと思い出した人が凄く増えてきたと感じるからです。
もうすぐと言っても、来月なのか、一年後なのか、十年後なのかは分かりません。でも、戻るモードに入ったのは間違いないと感じます。
「すべてのことは、この悠久の時の流れの中で、トータルされた動きとなっている」らしいので、少しでも関わった人や動物やものなどに感謝して、すべてを意識して、できれば楽しんでやれたらいいなと思います。
ゆえに、今なすべきことを成すこと、あせらず、あわてず、静心を保ち、制限を設けず、素直に、淡々と取り組むのが良いのでしょう。
私は日々ぶれまくっています。でも、ぶれる幅が小さくなって来ている気がします。
自分の軸からぶれることもだんだん少なくなっているような気がします。
だから周りと対立することも少なくなってますし、なっても軽いのです。逆でしょうと思うかもしれませんが、そうなって来てます。
思うに、さらりとやるのが良さそうです。
ある程度いろいろやったと感じたなら、嫌と思う事より愉しいと感じることを、また、辛いと思う事より、楽と感じることを意識して無限の選択肢から選びましょう。なるがままでそういう選択をしようというタイミングが来たらです。タイミングは人それぞれです。どこかでそのタイミングは来ます。焦らず日々淡々と過ごしましょう。本当に長い間、嫌、キツいを経験して感情を蓄積してきましたから、もういいでしょう。
これからは、楽、愉がコツになりますよ。
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