心
「競争の心が生まれないから悔しいもないよ」
私は朝かなり早く起きて、所用を済ませてから約一時間程散歩に出かけます。雨だろうと雪だろうと出かけます。そんな時は、かみさんには頭おかしいんじゃないのと言われますが。でも、これをしないと一日が始まらない感じなのです。ただ気持ちが良いのでやっているだけです。
今朝の散歩の途中で三人組の小学生とすれ違いました。その時に聞こえてきた言葉が冒頭の言葉です。何の話をしていたかは分かりません。ただこの言葉だけが切り取られた様にもの凄くはっきりと、鮮明に耳に入ってきました。耳元で囁かれたような感じでした。飛び込んで来たと言った方がしっくりする感じです。私は、こんな事があるのだなと少し驚いて足が止まりかけました。でも振り返らずにそのまま歩き続けました。理由は分かりませんがしばらくこの言葉が頭から離れませんでした。
その三人組は、ゲームの話でもしていたのかもしれません。バトルしていて、悔し紛れに出た言葉かもしれません。そうだとしてもなるほどねと思わせる言葉でした。たしかに競争心がなければドキドキしないし、必要以上に心拍数は上がりません。私が心がけている静心の状態が保てると思います。悔し紛れの言葉じゃなかったら、もしかしたら凄い小学生かもしれません。ネット上では大人顔負けの事を話す子供達がたくさん出てきていますから、今朝の子も案外そうなのかもしれません。みんなで子供を大切に育てたいものです。そして、年齢関係なしに人の話はきちんと聞こうと改めて思いました。
心とは、やはり胸のあたりにあるのかもしれませんね。ジュネさんは「心はブループリントのかけら」と言っています。心が発していること、これに気がついて、これに沿って、頭で考えて行動するというのが、もしかしたら近道なのかもしれません。自分で計画してきたことを成し遂げる近道という意味です。
また、上江洲義秀さんは「癒しは、心を作り、心を鍛えることで得られます」と言っています。さらに「慈愛や感謝の気持ちが人に起こり、その感情で満たされる時、心拍数の安定をはじめとする数値上の効果としてあらわれてくることが証明されています」とも言っています。やっぱり心臓近くにあるんですよ、心は。私達の本質は。
そして、「人を赦すことは自らを解放するということを知っていただきたいと思います。許せないという気持ちで自らを縛っていた鎖を、自らの手で解き放つのです」
よく分かりますね。互いにそうなったら最高です。なかなかできないから学びがあるし、できるまで続くのでしょう。
それで、日々の生活の様々なことで、どう感じ、どう考え、どう行動するかの積み重ねで”私”が作られるのでしょうね。
「何を見、何を聞いても癒されるあなたであっていただきたいと思います」
「日々食するものに思い煩うことなく、いただいたものが血となり肉となって自らが満たされ、他に愛の意識を向けられるようになるのが大切なことではないでしょうか」(上江洲さん)
この様な心を持った”私”になりたいと思います。
静心
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