テレビとは、そもそも、プロジェクト モッキンバードという、プロパガンダ オペレーションだったのですね。
やはり、支配したくてしょうがない人達の都合の良い情報だけを流し続けましょうというものでした。それにより大衆を洗脳してしまえというものでした。
まずはそういうものだと認識しておくことが重要だと思います。
でも、テレビ番組のすべてが悪いとは思いません。いろいろな番組を観てて、違和感を感じたり、これでもかと、一つのサイドからだけの、洪水のような報道の仕方を感じた時や、他の意見を述べた人がいつの間にかテレビに出てこなくなったり、ある意見を述べる人たち、必要以上に貶める報道をしたり、なんか変だなと感じるように意識して観るようにはしてます。
さらに、真面目に考えるのがかっこ悪いように持っていく制作の意図、おバカタレントという名前を流行らせる意図、やたらに大きな声を出して話す番組制作など、なんとなく疑問を感じることがあります。
ここでおことわりですが、好き、嫌いいろいろあるでしょうし、捉え方は自由だと思います、また良い、悪いという観点からも言ってませんので、念のため。
私もいろいろ面倒なことを言っていますが、テレビを見て、何も考えず大笑いしていることが結構あります。
言いたいことは、自分軸を持ち、違和感を大事にして、流されないという事です。
何を言われても、私は、こう思うんだけどなぁ、です。みんな違ってていいんです。要するに、他人の意見をきちんと聞きましょう、尊重しましょうということです。流されているなと感じたら見なければいいんです。
あと、高学歴番組というか、高偏差値番組というか、そういう番組を観てて、世のお母様たちが、変に流されなければいいなと感じることがあります。自分の子供に対して、こうあるべき、にならなければいいなという意味です。子供が親のアクセサリーみたいに扱われている印象を持ったことがあったものですから。ここに入るのよ、と子に強制して、で、入ったら、この子って凄いでしょうと、ブランド品を自慢げに見せるみたいな感じでしょうか。その母親は、全てこうあるべきという、べき論で統一されてました。ある意味凄いです。ただ、その子の意思は、横に置かれてるなあと思いました。子供も自分の意思でやっているならいいんです。でもなんか表情が暗かったので、余計な心配をしてしまいました。
別に学歴が悪いとは思いません。偏差値が高いことも凄いなと思います。ただ、そこだけを強調しすぎるくらい強調して取り上げるのはどうかなあと感じるのと、こうでなければ、この社会で生活できませんみたいな感じを持ってしまう構成はどうかなあと感じます。多くが印象操作されてますね。やっぱりバランスが大事ですね。
学歴がなく、偏差値の世界に関係なかった人達の中には、とんでもなく素晴らしい生きる知恵、知識をたくさん持っている人が多くいるという事と、いざとなったら、そういう知恵に私たちが助けられることが、今後、直近で、あると思います。まあ、バランスをとることが大切とか、こういうことを言いたかったのです。
この歳になって、しみじみ思いますが、知識、知恵は大事ですね。また学歴、偏差値が高くなくても、知識、知恵は得られますし、得ようとする努力が大切です。どうせ何々だから、私なんかというのはやめましょう。この言葉を言われると激怒する博士がいました。最近私も名を知りまして、これからますます名が知られるようになると思います。ドクターマーティンという人です。この博士曰く、どうせ、、、というのは、最大限自分自身を侮辱することになると言ってました。自分を愛しましょうという事ですね。そこからです。
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