今回の、中山副大臣の行動パターンについて、昔から使われている、ある物事をニュースにする、一つのパターンを思い出しました。
あくまでも行動パターンの話です。誤解なきようお願いします。
例えば、ある国と日本が揉めそうな事柄があったとします。日本のある記者が、そのある国のその問題の当事者も当事者に、人、団体、政府機関などですが、そこに連絡を入れて、日本の誰それが、このような発言をしましたが、どのようにお考えですか?と誘導的に質問をして、意見を求めるやり方です。
でも、唐突であったり、タイミングを間違えると問題化するのが分かるようなやり方は、日本に住んでいる人々の安全、安心をよく考えたうえで、なるべく騒動にならないように、慎重に事を運んだ方が良いのではないでしょうか。
初めから、これは良い、これは悪いと裁く方向で、戦いになる方向で、取り組むのはいかがなものでしょうか。調停という方法があると思うのですが。
やはり、こちらの動機、あちらの動機がどこにあるのかが重要になります。例えば、お金なのか、名誉なのか、人道的なものなのか、ただただ騒ぎにしたいのか、いろいろありますね。なので、ニュースを一度聞いて判断するのがいかに危険か分かりますね。
ただし、やり方を間違えると、自由な意見の交換ができなくなる恐れが出てきます。いわゆる、タブーというものですね。言葉狩り、魔女狩り、みたいになってしまうと窮屈な世の中になりかねません。もちろん、怒りに任せて、罵詈雑言、差別的発言、最近アメリカでよく言われる、キャンセルカルチャーなども、いかがなものかと思います。特定の人、団体などを、寄ってたかって、糾弾して、叩きのめすやり方は、やっぱり窮屈な感じがします。
今回、中山副大臣の件は、立場を考慮すると、もう少し別の行動プロセスがあったのではないかと思いました。副大臣ですからね、影響大きいですね。何度も言いますが、内容を言っているのではありません、行動プロセスです。
私は、いつも言っているように、モットーは、「やさしく、愛に溢れ、互いに思いやり、他人に強制することなく、自分の好きなことをきちんとできる社会の実現」です。この中でも特に大切なのは、「他人に強制することなく」だと思ってます。なかなか難しいのかもしれませんけど。でも、このフレーズを思い浮かべられれば、少しは平和になるような気がします。
皆さん、今は特にいろいろなことがたくさん起きてます、また、これから起きてくるでしょう。ですので、自分でたくさん調べて、考えて、どれを選択するか、広がる感じがする方向に向かって、自分を守りながら、進んでいきましょう。
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