最終決定者

意識

騙す側、騙される側、という関係が成り立つように見えますが、両者の区別を明確に線引きするのは結構難しく、その基準も、どこに置くかも、むずかしいように思います。

何を言っているのか分からないかもしれませんので、ご参考まで、こちらを是非ともご覧になっていただき、それからいろいろご考察いただけたらと思います。

私の考えは、人間が何かを決めるとき、最終決定者は自分だというふうに考えています。当り前じゃないかと言われそうですが、意外にそうじゃない行動、対応をしているものです。

例えば、人にこういわれたから決めて、こんなんなっちゃったというときでも、人にそのように言われて決めた、のは、あなたですよということです。

厳しいようですが、そうなると思います。

自分で、本当はこうしたい、という事を、実は自分でわかっていることが多いのではないでしょうか。変な言い方ですが、気持ちに、本音に、気づかないようにしているのかもしれません。誰かに遠慮しているのか、恐れているのか、理由はいろいろでしょう。

でも、何か問題があったとき、誰かに相談して、(意識しているか、していないか分からない)自分の本音を後押ししてもらうことで、または、同意してもらうことで、安心したいということも結構あるのではないでしょうか。

私はそういう気持ちがあります。同意してもらい、「そうだよね」と一人で安心してます。

よくある話ですが、「何食べる?」って聞かれて、「何でもいい」と答えて、「じゃあ、ラーメンね」となり、「いや、蕎麦がいい」ってなっちゃうことありますよね。何でも良くなくて、実は決まっていることの方が多いのかもしれません。

何かを決めるときは、自分は、本当はこう思っている、という事に気づき、実際にどうするかを、意識的に決めたほうが、これからの時代、特に今からですが、大事だと思います。誤解を招く言い方になるかもしれませんが、自己責任です。自由を求めるという事は、自分の身は自分で守るというのが基本になります。結果、思うようにならなかったら、今の自分に必要なことが起きていると捉え、納得しながら、人のせいにして嫌な感情を持たずにやっていけば、もう少し前向きにやっていけるのではないでしょうか。自分に嘘をつかなければ、もっと生きやすい時代になるような気がします。

ものの見方や姿勢を少し変えてみるとか、自分で意識して、いろいろ工夫してやれば、目の前が様変わりするときがあります。意識してやると、えっ、と思うくらい変化を感じるときがあります。面白さと、何か自分が進化したのではないかと感じられて気持ちがいいです。

あることに対して、私のこれまでの視点と姿勢を意識的に変えて、別のバージョンで対応してみたら、こんなにも同じ人の対応が違うのかと驚き、別人ですかというくらいその同じ人の印象が変わったことがあり、やはり自分の方で意識を変えた方が早く意向に沿う現実が実現するのだと思いました。

要するに、自分のキャパシティを拡げる、スペースをどんどん大きくしていく、とでも言うのでしょうか、執着を無くしていくと言うのでしょうか、どんどん意識を開放していった方が楽しくなる時代が間近に来ているのをすごく感じるので、最近こんなことばかり書いているのだと感じてます。

でも、騙す側の比率が、または、他人に強制する側の比率が多くならないように、よく調べて、自分のスタンスを、自分に嘘をつかないで、きちんと決められるようにしたいものです。ここを曖昧にしてしまうと、気がついたら、騙す側に加担していたなどともなりかねませんから。

窮屈な世の中を醸成する側には立ちたくないです。

大切なのは、自分は、本当はどうしたいのか、です。

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