毎日生活していると、様々な場面で「私はダメだなあ」とか思うことがたくさんあると思います。少し前までの私も日々反省、後悔のしっぱなしという感じでした。それだと気持ちがいつも重いですよね。ある事に対して、何かがきっかけになり、そういうことなのか、と気づくまでやり続けることも必要なことで、そのことすらも、じつは自分で決めてきていることかもしれません。
そういう時は、誰かと比較したり、競争して敗れたり、ノルマが達成できず叱責されたり、テストに落ちたり、自分の容姿に対するコンプレックスだったり、様々なことに対して誰かと、何かと比較して「私ってだめだなあ」とすぐに思って、また無理して頑張るという行動に戻り、また思うとおりに行かなくて、反省、後悔、自己否定の繰り返しになりがちです。
これは、自己価値の不足感、自己否定感ってやつですね。自分の理想像をイメージして、その通りにならないと出てくる感情です。本当はこうなのに、という思いです。
これを続けていると、その欠けていると思っているところを補うために、誰かに相談するなどして埋め合わせて、修復、この繰り返しでへとへとになります。
私もずっとやってました。でもある瞬間から、過去の自分も全部受け入れ、今の自分も受け入れるということをしてみたら、何かが溶けるような感じがして、楽になりました。
全部自分で選択して、その時々の感情を味わうためにやっていたのかなあと今では考えられるようになりました。人は人、自分は自分です。言ってみれば、この時代に同時に生きている人々の役割というものです。私の役割、誰それの役割というものです。自分で、こういう感情を味わいたいのでこういう事を体験しようと決めているわけで、人をうらやましがることは別にないんですね。別の生で今うらやましいと思っている人の役割を経験すると決めてできることかもしれませんから。
何それって思うかもしれませんが、そう思うと気持ちが楽になり、広がる感じで、開放感を味わいながら、自分の生を少し余裕をもって生きることができると思います。
私も、ずっと、競争競争、テストばかり、会社に入っても順番を少しでも上げようとか、他人の持っているものを、自分が持てないことに対する不甲斐なさなど、散々、自己否定、自己価値の不足感を味わってきました。でも、もういいかなあって感じです。一杯やりましたので本来の自分に戻ろうかと思います。今までも、今の自分も本来の自分ですけどね。
これでいいのだ、です。役割です。
最近は、人間は、地球に生きててもいいですよと許可されている存在だとも思うようになりました。今の生物全部が、地球の状況に合っているから生存できているということです。
それなのに、人間は、他種を支配しようとしたり、さらに地球までもを、自然までもを自分たちの都合の良いように支配しようとしている現実に、とても危なさを感じます。しっぺ返し食らいますね。今の全世界で起きている、洪水、天候不順など、地震もそうですね。一部の人間の操作(HAARP)かもしれませんが、それも含めて地球の修正が入ります。
人間がこの状態で生きられるのは、地球だけなのに、と本気で思います。もっと謙虚になりましょうと言いたいです。もちろん変なことしている人たちにです。もうばれてますよ。
ちょっと話がずれましたが、要するに言いたいのは、芦原瑞穂さんの「黎明」という本の中に書いてある、要約しますが、「多くの会社を経営して馬車馬のように働いている人でも、心が不調和な想念で一杯なら、精神階層では世界中に禍をまき散らしており、それならば、何もしていないように見えても、毎日、笑顔で暮らしている人の方が世界にはるかに貢献している」という文章がありました。
なんとなくわかりますね。その通りです。
一旦、全部、丸ごと自分を受け入れちゃいましょう。
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