すべては完璧
書店などで精神世界に分類されている本などを読むと、それらの本の中のいくつかで、「すべては完璧」という言葉を目にするときがあります。私は、この言葉の意味が分からないまま、読むたびにそこで立ち止まり、どういうことなのかあれこれ考えてきました。
言葉とは、その人の捉え方によって意味が変わることがあります。言葉で真意を伝えることには、ある意味、限界があるのだと思います。「すべては完璧」という言葉の、「すべて」とは何を指しているのか、「完璧」とは何に対して完璧なのか、その捉え方は一人一人違うのかもしれません。話し手や著者がその都度解説すればいいのかもしれませんが、そんなことを毎回してたら話が進みません。中には、できるだけ解説をしながら進めようとしている人もいますが、意味を理解している人には、それが邪魔に感じることになる場合もあります。その様に、言葉で真意を伝えることは難しい側面があるのだと思います。
私は、最近になって、この「すべては完璧」という言葉の意味が、自分なりに、”たぶんこういうことだろう”というのが掴めた気がしています。言葉で解説するのは難しいですが、私なりに伝えたいと思います。これからの話も、人によって捉え方が違ってしまうかもしれません。しかし、そんな事ばかり言ってたら、前に進みません。なので伝わる様に努力してみます。
「すべては完璧」という言葉を言う人が、それを、どの様な捉え方をしているかによって、その意味は変わります。つまり、その人の意識レベル、本質(命、愛等)に対する理解度で変わります。例えば、なんでも自分の思いのままにしたいという人(本質は肉体であり物質に価値を置く人など)は、この「すべては完璧」という言葉を発することが、なかなかできないかもしれません。なぜなら、この世で何でもかんでも思い通りに行くことはあまりないからです。多くの人は、適当なところで納得させているのではないでしょうか。その様になんでも自分の思いのままにしたい人は、「なぜなにもかも上手くいかないのだろうか」という言葉を発することの方が多いのではないでしょうか。この様な人達にとっては、思い描いていることが”すべて”であり、それが上手くいって”完璧”ということなのかもしれません。
また、長い時間をかけて計画してきたことが成就した人などは、その時から少しの間は、「すべては完璧」と感じたり、言ったりするかもしれません。嬉しさのあまり、今までのことを思い返して見て、成功するまでの過程で、上手くいかなかったことに対しても、無駄ではなかったと感じるからです。つまり、この様な人にとって”すべて”とは、”思い入れが強いこと”を指しているのかもしれません。その”思い入れが強いこと”が上手くいったら”完璧”ということです。
しかし、それらの人にも、そこからまた新たな生活が始まります。そして、またいろいろな思い通りに行かないことに向き合う事になります。それは束の間の喜びだったのかと、その喜びは次第に忘れてしまうかもしれません。至福はどこにあるのかなどと考えるかもしれません。もしかしたら、それは、この世には無いのかもしれません。この世は、移り変わりの激しい、無常な世界であり、いずれは必ず消え去る物質を使っての学びの場であるからです。それでは、永遠の至福とは一体どこにあるのでしょうか。
私が思うに「すべては完璧」の”すべて”とは、人間、動物、植物、鉱物、微生物、人工物、地球、その他の星々、宇宙などあらゆるものを指します。そして、”完璧”とは、それらの”あり様”そのものを言っているのだと思います。つまり、今目の前に見えている”あり様”それそのものを、そのままで”完璧”だと言っているのです。なぜなら、”すべて”は、完全法則に基づいて現れているからです。だから、もし地球に何かあったら、全体のバランスに影響するということです。何かとは、例えば、人間の不調和な想念により破壊に追い込む様なことです。人間は、今まで、散々それをして来たのだと思います。でも、もし本当に破壊してしまったら、完全法則に基づいて、あるべき姿に調和されて、そのときの完璧なあり様を現すと思います。もちろん人間は今のままの肉体を維持しながら存在できないでしょうし、宇宙のあらゆるものに多大な迷惑をかけることになると思います。”破壊的な波動を出して調和を乱すと、あらゆるものが混乱する”というのも法則だと思います。林檎の種を植えたら林檎が収穫できるという、あたりまえのことも法則です。林檎の種を植えて蜜柑ができることは無いのです。そんなあたりまえのことを、と思うでしょうが、では、それは一体なぜでしょうか。これが法則だからです。この様なことは周りにたくさんあります。これが神が描いた設計図です。それらは、諸条件が揃えば顕現するということです。
私達人間は神の分け御霊です。思いを具現化させることができます。だから、不調和な想念や、破壊的な想念を撒き散らし続けていると、今の様な地球になるということです。つまり、今のあり様は、撒いた種が発芽したという意味で、「すべては完璧」だということになるのです。自分の都合の良い様になることが「すべては完璧」ということではないのです。精神世界などの本で言っているのはそういうことなのだと思います。もしそうだとして、自分が住みやすい世界にしたいなら、一人一人の思いから変えないとなりません。なぜなら、その世界は、法則通りにしか現れないからです。思いを調和的なものに変えれば、住みやすい世界に変わります。繰り返して言いますが、なぜなら、法則だからです。破壊的なものに破壊的なもので対峙したら、それが増幅していくだけです。それは不調和な想念に不調和な想念を加えるだけです。どうなるかは容易に想像できると思います。それならば、どうしたらいいか分かると思います。本当に、今こそ切り替え力をマックスにする時です。思いを不調和なものから調和なものへとを切り替えませんか。人より多くのものを持って支配しても何の価値もありません。永遠の至福はここにはありません。私達の本質にあるからです。それを実感できるように皆んなで共に努力したいものです。私は特に、社会的に影響力のある方々にそう言いたいのです。何でも強制はできません。法則です。それぞれが、自由意志で気付くしかありません。それが法則だからです。だから、この様に言うしかありません。
「どうか思いが伝わります様に」
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