なること、知ること

意識

なること、知ること
 「大切なのは何かになることではなく、自分を知ることである。」
 これは、「私達人間の本質がすでに愛そのものであるが故に、あらためて何かになろうとするのではなく、愛そのものである自分を自覚すればいいのである」ということを言っています。自分とは一体何なのか、それを追求することが本質に至る道なのだということです。しかし、その過程で、私達人間は、様々なものに惑わされて来ました。例えば、自分を肉体そのものであると思ったり、魂と思ったり、特別な存在と思ったり、ダメな存在と思ったり、その他のいろいろな肉眼に見える存在を自分であると思ったりしてきました。    
 私達人間の本質は”生命”(作られざるもの)です。それは、すべてを創造するものであり‘‘作られるもの‘‘ではありません。故に本質なのです。その‘‘作られざるもの‘‘とは何なのでしょうか。それは私達人間には分かりません。あえて言うなら無限ということなんだと思います。つまり無限故に言葉で説明できないということです。”本質とはこれです”と断定すれば無限ではなくなるからです。
この様なことを言うと世間では変な人に見られたり、”別にそんなこと考えたこともない”と言われたりするかもしれません。でも、今その様なことを言ってる人達も、いずれは必ず「自分とは何者なんだろう」と本気で考えるときが来ます。なので、よろしければ、今、「自分とは何者なんだろう」と考える境地に至っている人の話しとして聞いて頂けたらと思います。偉そうにその境地と言ってるのではありません。それぞれの意識の置き場所の違いとして言っています。その話しの捉え方は、人によって様々だと思います。そして言葉にしますから私の観念、概念ということになります。だから、本当はそれぞれが本質というものを実感するしかないのです。それを踏まえた上で話してみたいと思います。何度も繰り返しになりますが、私は人間の本質を次の様に自覚しています。


 私達人間の本質は生命そのものです。

今纏っている肉体が自分ではないということです。しかし、その本質とはどういうものであるかを説明するのに、それは”こういうものです”と簡単に言うことはできません。なぜなら、本質は無限だからです。本質である生命は一点の隙間なく偏在しているということだからです。そしてそれは、”作られざるもの”です。またそれは言い換えると愛一元ということです。私達はその生命そのものなのです。

 これを読んでどの様に感じたでしょうか。もし生命そのものならば、あえて何かに成ろうとするのではなく、そのものの自分を完璧に自覚すれば良いのではないでしょうか。私達人間が創り出した様々な‘‘観念的何か‘‘に成ろうとするのではなく、我生命なりと自覚することが重要なのではないでしょうか。私達人間は元々本質である生命なのに、それ以外の‘‘観念的何か‘‘に成ろうとすることは、わざわざ本質からずれることをしてしまう様なものです。そうではなくて、自分が本質そのものであることを完璧に知ることが大切なのです。つまり、そのものを自覚し、そのものを生きるということです。そのものを生きるとは、つまり、愛生きること。それは美しく生きることです。
では、どうすればいいのでしょうか。あらためて考えると、何をどうすればいいのか分からなくなるかもしれません。でも、私達が愛そのものならば愛そのものとして生きればいいのではないでしょうか。足元には尽くせる愛はたくさんあります。隣の人を労り、思いやり、生かすことです。さらにそれは、すべてを慈しみ、赦し、生かして生きるということです。お父さんやお母さん、お兄さんやお姉さん、友人、知人、今目の前にいる人達にどの様な思いで接しているでしょうか。あらためてそれを意識することによって、自分の思い癖や悪習に気付き、自分が見逃していた普通程度の親切やいたわり、思いやりに気づくのではないでしょうか。気づいたら行動です。ただの思いや言葉だけではありません。自分の足元にあることをきちんとすれば良いのではないでしょうか。それが本質に近づく方法です。今まで私達人間は、勉強ができないから、お金が無いから、地位、名誉が無いから、背が低いから、太っているから、痩せているから、などなど様々な仮想のものに迷い苦しんで来ました。私なんかなどと考えて自縛して来ました。でも、それらは仮想です。ある意味、自ら創り上げた雑念や想念です。私達人間の本質は生命、愛です。自ら創り出したニセモノに縛られてることに気付かなくてはなりません。つまり、今の思いは神、愛の思いからなのか、また、神、愛からの言葉なのか、また、神、愛からの行為なのかと振り返ることがニセモノを修正する行為になるのではないでしょうか。これが本当の修行だということです。難行苦行することはありません。今いる場所や行く場所で本質を自覚して生きる努力をし続けることが一番大切であり、それは、それぞれ独自の道であり、他の誰かではなく自分しかできない貴重な経験です。すべての本質は皆同じであり、姿形、役割が違うだけです。ならば、それらを自覚し、きちんと役割を演じ生きることができると再認識できるのではないでしょうか。

「自分とは何者なんだろう」

その答えは、既に‘‘本質、愛そのもの‘‘であるということです。それは、すべての根源です。すべての根源であるならば、そうであることをきちんと知ること、そして、完璧に自覚すれば良いのではないでしょうか。つまり、私達人間にとって大切なのは、観念的何かに‘‘なろうとすること‘‘ではなく、既に愛そのものである‘‘自分を知ること‘‘なのではないでしょうか。

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