やらなくてもいいこと

意識

やらなくてもいいこと
 やらなくてもいいこと、それは、私が思うに、「自分は、本当はこう思うけど、でも、今回はまあいいか、みんなやってるし」などということや、「これはお客様のためにならないな、でも、会社の指示だから、仕方がないよな、うまくやるか」などがあると思います。特に、みんなやっている、には注意が必要です。
その様なことをやってしまった後、時には、何となく、後ろめたい気持ちがしたり、罪悪感すら感じることは誰にでも経験があるのではないでしょうか。昨日も書きましたが、罪悪感は一番低い波動だそうです。それは、本当はダメと分かっているのに、自分に嘘をつきながらすることだからです。ダメと分かっているのなら、やらなければいい、ということは、誰でもそれが当たり前だと思うでしょう。しかし、本当はダメと思っていることを、実際にはいろいろ理屈を付けて、何度もやっているのではないでしょうか。
 自分軸に立っていれば、自分の心に従って行動するから、罪悪感を感じる事はしないと思います。しかし、他人軸がある程度入ってくると、さらに、そちらへの依存度が多くなると、誰かの考えや、頭で考えたエゴ(我欲)に従うことになりますから、結果、変なことをしてしまうのだと思います。そっちじゃないよということをです。つまり、自分軸での判断は心ですることになり、他人軸での判断は、軸がブレてますから、誰かの考えや、頭で考えた我欲でするということになると思います。魂からしたら、そっちじゃないよ、ということになります。だから、自分の内を見つめること、または、焦点をあてることが大切なのだと、理解できるのではないでしょうか。
でも、そうは言っても、”世間を生き抜くには仕方がないこともあるでしょう”との声が聞こえてきます。私もよく言われましたし、自分でもずっと思ってきました。そして、罪悪感を持つ様なことをかなりしてきました。この行為から脱出しないと、悶々とした日々が続きます。私もかなり長い間、本当に長い間、悶々とする日々を過ごしてきました。だから、もう罪悪感を感じるのは嫌になりました。まだまだ、我欲はあります。それに従って行動することもたくさんあります。ただ、後々罪悪感を感じるかもしれないと思ったら、やらない様にしています。なぜならば、本当にもうあの感覚は嫌だからです。この行為が少なくなってくると、心も体も軽くなります。次第に、その他の嫌な感情もなくなってくる様な気がしています。私は、この循環に入るまで長い時間を要しました。しかし、この長い無駄に思うかもしれない時間も、決して無駄ではありません。自分にとって必要な時間だったのです。何かに気付くまでの大切な時間だったということです。
 罪悪感、羞恥心、無感動、深い悲しみ、恐怖などの感情は低いバイブレーションだそうです。なるべく手放した方が良さそうです。なぜならば、それらの感情に合ったものを引き寄せたり、将来具現化してしまう可能性が高いからです。だから、執着してしまうと、最悪の返しがあるかもしれません。
今の地球は、思いが具現化するのが早くなっているようです。だから、覚者の上江洲義秀さんはそれを最近ずっと言っているのです。思いはいずれ具現化します。それが、早くなっているとしたら、特に地球の様な法則の元でのことだったら、なおさら、身・口・意を正さないと、嫌な思いをします。地球では、物質である肉体を持つ環境なので、世間一般的に言われる、良いことや悪いことには、その始まりから終わりまで、ある程度の時間がかかりますが、それが短い時間で目の前に現れるということです。だから、”やらなくてもいいこと”と少しでも思ったら、やらない方がいいし、その努力をすることが重要なことだと思います。
しかし、私達は、”思い通りになる(我欲が満たされる)可能性が高い展開が見えてくると、理屈を付けてダメと思いながら、そちらに行ってしまうのだと思います。それで、その後はそれなりの結果になり、必要な経験を何かに気付くまで繰り返すのです。それが、人間というものなのかもしれません。やらなくてもいいかなという事ほど、誰かの考えや我欲に従い、手を出してしまうのが人間なのかもしれません。自分の外側に何か答えがあると思うからなのかもしれません。そう思ううちは、他人軸です。自分軸になったら、事象をコントロールできるようになります。誰かの考えでやるのではなく、自分の心、考えでやるようになるからです。
この様に考えると、ブループリントのかけらである心に従うことは、魂の計画に沿った動きをすることであり、それができる人は、自分の本質を思い出すのが、いわゆる目覚めがより早くなるのだと思います。
“やらなくてもいいこと”は、実は自分が一番分かっていることなのですね。

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