曇りのない心

意識

曇りのない心
 一点の曇りのない心とは、どんな状態なのでしょうか。それを、揺れの無い鏡のような心の状態と言う人もいます。一体それはどんな状態なのでしょうか。また、そうならなければ悟りの境地には至れないと言う人もいます。その様な心になるには、どうしたら良いのでしょうか。また、無限の知恵や力は磨き上げられた心から湧き出てくると言う人もいます。では、磨き上げるにはどうすれば良いのでしょうか。
 それは、自分の今置かれている場所を意識すること、その中で日々目の前に現れる様々な事象にどの様な意識状態で取り組むのかにあるのだと思います。今置かれている場所とは、家庭や職場のことです。特別な場所を探す必要は無いのだと思います。そこで、自分のしていることをきちんと意識することだと思います。その上で、これは人を傷つけるかもしれない、不快にさせるかもしれないなどと気付いたことがあったら、そういうことを思わない、言わない、表現しない様に努力することが大切です。それを続けることで、こびりついた思い癖や悪習を改善していくことになり、それが心を磨く一つの方法なのだと思います。他を見ず、己の内を見る、ということです。その様なことを続けることで、いつか必ず自分の本質が何であるかに気付くのだと思います。
こうして磨き上げられた状態になった時に、本質である完全意識を一点の曇りのない形で心に映し出すことができるのだと思います。そこに至りたいという、その意思を持つことから始まります。
私は、一瞬一瞬美しい生き方(そうした方がいいと気付いた人はやればいいと思います。なぜそんなことをと思う人は無理してやらなくていいと思います。無理すると変なことになりますから)を意識していれば、今生が悔いの無い、自信を持てるものになるのだと思います。
 この世の目に見えるすべてのものは、私達人間が本質とは何かに気付くためのもの、または、気付いた上で楽しむための道具なのだと思います。それらは、永遠不滅に存在するものではありません。いつかは必ず無くなります。それらを本質と錯覚して、掴みまくろうとして溺れたら、真の本質とは融合できません。迷いの中で堂々巡りし続けるのだと思います。それぞれのタイミングで気付くのだと思います。初めからあり、今もあり、未来永劫あるのは本質だということです。
私は、曇りのない心になるとは本質に至ることなのだと思います。結局そういうことなのだと思います。だから、人生というものは、
「物質をつかむための人生ではない。命を自覚するための人生である。」(上江洲義秀)ということなのだと思います。

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