自分の役割を決めるのは
「理解しないままに、自分が体験することこそが、人生での大事な一部なんだ」(アフターライフ アニー・ケイガン著 P100)
この言葉は、アメリカの作曲家であり、カイロプラクティシャンをしている人が書いた本で、全米ベストセラーになったものからの引用です。私はこの言葉を読んだとき、「あ、同じこと言ってるな」と思いました。それは、自分の目の前に起きている事をどう捉えたらいいのかということに対する一つの説明ではないかと思うのです。
アニー・ケイガンという人のお兄さんは、生前、この世では、世間一般的に言う、素行が悪い人でした。小さな頃からいたずらで、何をやっても上手くいかず、高校を中退して、指輪工場で働いてる時に、指の先を切断してしまい、その時から、ビリー・コーエンという名前をビリー・フィンガーに変えて、ドラッグ売人になり、その後しばらくして、逮捕され、二十五年の刑を受けました。それから出所後、運転手、薬物中毒者の相談、マッサージ師などをしてましたが、しばらくして、南米に渡り、初めの頃は結構楽しくやってた様です。しかし、そこでも、どうしようもない状況になって妹のアニー・ケイガンに救出されました。その後はアルコール中毒になり、助け出された二年後の62歳の時に、高速道路に飛び出して車に轢かれて亡くなりました。こうしてみるとなかなかロックな(ビリー曰く)人生だと思います。これは、その彼が、妹に異次元から語りかけるという内容の本です。作り話なのか、本当なのかは分かりませんが、一つの物語としても興味深いものだと感じます。
この本の中で、ビリーは、人は、今生でやることは決めて来てて、その約束を果たしているだけと言っています。でも、その時はそんな事は忘れているから、いろいろな気持ちを味わうことになり、また、なぜこんなことばかりなんだろうと、目の前の事象を理解できないまま時が過ぎて行ってしまうと感じる訳です。このことを「理解しないままに、自分が体験することこそが、人生での大事な一部なんだ」と教えてくれているのだと私は思いました。また、ビリーは「人生を生きる目的のひとつは、忘れてしまった記憶を取り戻すことなのさ」とも言っています。
私は、この本を何度も読んでいますが、ビリーは闇の魂ではなく、いつも神を思っていた人の様な気がします。どうしようもないと感じることばかり起き続けて、どうしていいか分からず、どこまで堕落するかやってみたのかもしれません。それを体験したくて計画してきたのかもしれません。でも、南米での出来事は、生前計画には無かったと言ってました。闇に追い詰められたとのことです。それを救ったのが妹だったのです。ビリーが助けを求めた時に、他の人達は、ドラッグを買うお金が欲しいだけと言って無視しましたが、妹は何おかしいと察知して、大金を使って助け出しました。この様に最後まで見捨てない人というのは、誰にでもいるのかもしれません。それに気が付いていないだけなのかもしれません。私にもいました。その時には気づかなかった様に思います。しばらく経ってからそうだったことにハッと気付きました。
ビリーは、また他にも大切なことを言っています。それは、「自分のことをどう見るかを決めるのも自分だということを忘れないようにね。君の役割を他人に決めさせることがないように」と言ってます。これは、自分軸で生きること、決して他人軸では生きないようにということを言っているのだと思います。つまり、自分の心の声に従うこと、他人に脅されようが、同調圧力がかかろうが、何であれ、そんなものに従わない事という事です。ビリーはそうして生きて来たと、はっきり言ってます。それだからかどうかは分かりませんが、ビリーは別次元では、かなりの高次元に行ってます。あくまでもそれが良い悪いとの観点から言ってるのではなくて、何回もの転生を経て、ビリーにとっては、この生が仕上げのものだったのかもしれません。
この様に、世間一般的に見てどうであろうが「自分のことをどう見るかを決めるのも自分だということを忘れないようにね。君の役割を他人に決めさせることがないように」ということが、私達が今生を生きる上で極めて大切なことなのではないかと思います。私は、何度もこのことを言い続けていますが、本当に大切なことだと思います。もし世界各地にある、この様な異次元からのメッセージが本当ならば、この事が、その存在達が、地球の人々に本当に早く気づいて欲しいことの一つなんだと思います。
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