至福の感覚

意識

至福の感覚
 地球では、人間は、地域、国、人種、男、女、金持ち、貧乏、好きな人、嫌いな人、仲間、敵、共生、争い、権力、差別、一番、オンリーワン、幸せ、不幸など、たくさんの関係、感情や価値観をそれぞれ一人一人が複雑に抱いて生きています。それゆえ、様々な貴重な経験ができるのです。その事象そのものは、良い悪いではないと思います。
人間は、その根底には、幸せになりたいという思いがあり、それがあらゆる行動の動機の一つになっているのだと思います。
また、大元に戻ると、至福の感覚しかないという人もいます。人間は、そのことを僅かでも覚えているから、その感覚を求め続けているのだと思います。
私達の長い旅路のゴールはその至福の場所で、みんな同じ大元に戻るのだと思います。そこに至るのに、一人一人が辿る道はそれぞれ全く違うものです。遠回りを選んだ人、近道を選んだ人など、いろいろなのだと思います。
辿る道の違い、それはつまり、その幸せを掴みに行くやり方の違いということです。つまり、みんな、至福を思い出すためにいろいろやっているのだと思います。その違いがあるからこそ、対立が生じ、いろいろな事象が現れ、その事象に対する見方、捉え方の違いが各自独特の経験となり、学びとなるのだと思います。
しかし、私達地球人は、長いこといろいろなことをお互い役を変えながら、経験してきました。私達は、もう幼子ではないのだと思います。そろそろ次のステージに行き、新たな条件の元で、新たな経験をすべき時が来たのだと思います。まだやりたい人はそれでもいいのだと思います。自由意思の尊重と選択の自由ですから。だけど、地球で長いこといろいろやってきた私達は、次元を変える時が来たのだと思います。私も、次のステージに行きたい気持ちがあります。これは、自然な気持ちです。よく分かりませんが、たぶんその時期に来たのだと感じるのです。その様に感じる人達もいれば、今までが幸せだったから、これでいいとする人達もいるでしょう。でも、地球でのその幸せな生涯も、貴重な一つの生ですが、経験の為の一つのステージに過ぎません。だから、執着しないで次に行くのが、自然なことだと思います。宇宙は、変化し続けるのですから。
もちろん何を選んでも、良い悪いということではありません。それぞれ何を選択しても自由です。歩む道の違いがはっきりする時という意味です。だから、今、どんなに親密な間柄であっても、幸せの定義が違ったら、一緒に歩むことが出来ない瞬間がもうすぐ来るということなんだと思います。同じステージでできるか、違うステージになるかということです。地球では、辛い別れという経験になります。でも、いつか、どこかで必ず会えるのだと思います。最後はみんな一緒になるそうですから。大元に戻り、一つになった後は、しばらく休憩して、また、新たに、何かが始まるということです。
今、大好きな人とは、ずっと一緒にいたいですよね。しかし、居場所の条件、法則が変わろうとしていますから、それに合わせられない人は、別の場所に行くことにならざるを得ないのでしょう。地球以外のステージです。これを、スピリチュアルの人達がずっと言っているのだと思います。一緒に行きたいから、早くこうしてくださいなどと言い続けています。お金儲けのためだけで、同じことを言い続けているのではないと思います。中には、そういう人もいますが。でも、その様な人は、こちらで見分けて、近づかない様にした方が良さそうです。でも、そんな事をする人は、それなりの居場所に行くのでしょう。例えば、カバールやDSなどの人達がそうなのだと思います。
 大元は、どんな魂も、自らが気付くまで、いろんな設定を与えて、辛抱強く戻りを待つそうです。その様にはっきり言う人がいました。私もそうなんだと思います。すごい愛だと思います。
人間は、みんな、本当は、幸せになりたいというのが、生きている一番の動機なのではないかと思います。私達は、至福のかけらなのです。生きるとは、それを思い出す旅路なのかもしれません。

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