虚しさ

意識

虚しさ
 私は、子供の頃から、なんとなく虚しさを感じることがありました。家族団欒、楽しく過ごしている時にも、ふと何か虚しさを感じることがありました。つまらないとかではなくて、何かが欠けている感じだったり、額の辺りや胸の辺りにジワっと何かが来る感じだったと思います。保育園の時にもあったように思います。小学校の時は、そんな気持ちを紛らすために、校庭で仲良しの野良犬を横に座らせて、しばらく一緒に地面に座っていたこともあります。ただ、ぼーっとしてただけです。その時のなんとも言えない愛おしさや幸福感を度々思い出すことがあります。その犬もよく付き合ってくれたなと今ではそんな思いがします。中学生の時もそれはありました。どうしていいか分からず、少し素行が荒れていました。高校生になるとそれは一層大きなものになり重くて起き上がるのも辛く感じ、一日中横になってたこともありました。大学生のときもありましたが、いろいろなことをして気を紛らせていました。仕事をするようになってもそれは度々押し寄せてきました。何をやっても、何かが上手くいっても、それは突然押し寄せてきました。今、改めて思い出してみると、そんな押し潰されそうな気持ちを何とか奮い立たせながらここまで来たのだと感じます。今までの事象すべては、自分に必要なことで、その時々の自分の一瞬一瞬の選択の結果が、様々な事象として目の前に現れていたのだと思います。なので、それらは自己責任ということです。だから後悔も何もありません。ああそうだったという感じです。ただ、そうなだけ、ということなのかもしれません。
 なぜ、その虚しさは、いつも私に付き纏っていたのでしょうか。それは、私が、自分が何者なのかを完全に見失っていたからだと思います。目に見えるものが、あるもの(実在)で、目に見えないものは、無いもの(非実在)であるとしていたのだと思います。ならば、目に見える仕事もお金も欲しいものすべてを手に入れたら満足かというと、やはり、何かしら虚しさが後から必ず来たのです。何かが欠けていたのです。それでは、真の満足感を得られません。         
 「この世は、影、幻の世界である」
これは、昔から多くの人達が言ってきた言葉です。私も、何度もいろいろな機会に聞いたり、本で読んだりしてきました。しかし、長い間、それが何を意味しているのか分かりませんでした。何となく格好つけて言っているのかな、などと感じたりもしました。でも、今は、この言葉の意味が分かる様になりました。そして、それは、ある意味本当のことなのだと思っています。このことを理解してから、虚しさが湧いてきても溺れることもなくなり、そんな思いも弾き飛ばすことができる様になりました。この感情は、あと少しで、私の中から完全に消えると思います。
 この世は、私達人間の本質である命を顕現するために必要な舞台です。そのために必要な大切な道具でもあります。自分の肉体もその道具の一つに過ぎません。命が入ってる時は動き、抜けたら動きません。この事を否定する人はいないと思います。つまり、自分の肉体も、それ自体だけでは動かない物質だということです。故に、私達人間の本質は命そのものということになるのではないでしょうか。肉体は命を顕現する為の道具であり、いつか必ず消滅するのです。もしそうだとすれば、この世は、本質が創り出した、影、幻の世界、ということになるのではないでしょうか。
そんな影、幻の世界にあるもの(道具)を、必死になって集めまくり、どれだけたくさん得たとしても、真の喜びを感じられるでしょうか。その喜びは、一時のものにしか過ぎないのではないでしょうか。私は、そう思うようになりました。それからは、あらゆるものに対する執着が消えました。同時に、虚しさも感じなくなりました。
 私達は、虚しさを感じて、それに飲み込まれ、悩み苦しむことなど、本当は必要ないのかもしれません。その虚しさの感覚を持っている人は、もう少し自分の内側を追求する様にしたらいいと思います。自分を追求し続けることで、自分の本質が命そのものであると気付き、肉体を含めてこの世のものは、命を顕現するための道具だと分かる時が来ると思います。それが分かったら、この世のものを血眼になって集めたり、どれだけ手にしても、その様なことをすること自体が虚しいことだと分かると思います。影、幻、道具を得ているに過ぎないということが分かるからです。例えば、芝居の中で、おもちゃのお金をいくらたくさん手にしても嬉しくはないと思います。ある意味そういうことです。でも、私は否定しているのではありません。やりたい人はやればいいと思います。
 私達人間にとって、真の幸せ、至福とは、自分の本質が何であるのかをはっきり理解することで、初めて手にすることができるのだと思います。なぜなら、これだけが実在であるからです。虚(影、幻)を手にしても、虚しさを感じるのはあたりまえなのかもしれません。実(本質)をはっきりと自覚して手に入れたら、意識が拡がっていくのだと思います。それが真の幸福感に繋がるのだと思います。

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