誰かがやってくれる

意識

私は小さなころから整理整頓が好きだった。掃除機をかけて隅々まで綺麗にする、という事ではない。物の配置にこだわりがあるという事だ。これはあそこにこの角度で置き、そしてこれはここにこんな感じで置いて、うまくいくととにかく気持ちが晴れ晴れする。母親が掃除機をかけたあと、それらの配置はバラバラになっている。でも、怒らない。じゃあ、今度はこんな感じで置いたらどんな風になるかなと楽しみながら配置換えをした。少し変えるだけで、部屋の雰囲気が全く変わる。その時の私の気持ちに沿った配置が出来たらすごくうれしかった。

自分が使うものは部屋も含めてなんでも大事に使うようにしている。感謝しながら使う。パソコンなどもいつもありがとうと思いながら使うと、なんだか反応が良くなる気がする。気のせいかもしれないが、何に対しても感謝の気持ちをもって接するといろいろスムーズに運ぶように思う。あたりまえかもしれない。

この感覚は、公共の場に対しても同じだ。公園などゴミがきちんと捨てられて、本来の姿になっていると、やはり気持ちの良いものだと思う。一度、少しでも、汚さの、また雑然さの、ある一定水準を超えてしまうと、ここは別に捨ててもいいのかと無意識に感じられてしまい、どんどん荒れていくような気がする。

綺麗な車と、少しでも汚い車がそこにあったら、汚い車の方が悪戯されてしまう傾向があるという。すごくわかる気がする。

自分が使うものは、何かしら今の自分に必要なものであるからそこに存在してくれている。だから感謝するべきだと思う。会社のトイレを使った後、手洗い場に行くと、ビシャビシャなことが多い。私は黙ってそこをペーパーで綺麗にする。黙ってそっとやる。そしてそこが綺麗になると気持ちが良い。あとから使う人も気持ち良いだろう。自己満足に過ぎないが、気持ちが良いので、これからもそっとする。

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