すべては何かを伝えたいためにある

意識

すべては何かを伝えたいためにある
 私達の周りには、実にたくさんの物や出来事があります。それは、自分が認識したものだけが、有る、という状態になるのですが、認識してないものは、無い、”無”ということになります。ですから、自分が認識したものが実際に”有る”たくさんの物や出来事です。例えばどんな物や出来事があるかというと、近くから見ていくと、家族、親類縁者、友人、知人、全くの他人、(自分が認識した)政治家、官僚、有名人などが登場人物となり、そのような人達とのいろいろな出来事、身の回りの物、家、自動車、自転車、携帯、パソコン、SNSや、町、市、県、国、自分が通った幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社、山、海、川などの自然、ジム、その他習い事、食堂、馴染みの居酒屋、大地震、原発、放射能漏れ、津波、洪水、大雪、デモ、などなど実に様々な演出材料があり、それらの舞台での出来事や物などが一生の間に、現れては消え、消えたと思ったら、また現れるということを繰り返すのです。この全てが自分にとって必要な物や出来事なのだと思います。世間一般的に良いことも、そうでないことも、自分から見て、良かったと思うことも、そうでないことも全てです。何でこんな目に遭わなくてはならないのだろうと悩み苦しんだことも、必要なことだったのだろうと思います。
私はそう思うことが増えてきました。塞翁が馬じゃないですが、やられた、参ったということも、今にしてみれば何倍にもなって、私の為になること、役に立つ原因になりました。
しかし、為になるかどうかは、ものの見方や生きる姿勢がどういうものかで左右されると思います。たぶん、気づきを得ながら、意識的に、日々の暮らしをきちんとしていれば、次第に自分が調ってくるのだと思います。それにつれて、周りも自分の求めている状態になってくるのかもしれません。なかなか気付かないのであれば、気づきなさいという意味で、それなりの出来事が繰り返し現れるのだと感じます。たぶん、他人のせいにしている間はいろいろな出来事が現れる様な気がします。ものの見方や生きる姿勢を変えること、同時に、身・口・意を正すことが大切だと思います。
先程、原発を例に上げましたが、東日本大震災では、津波を受けて放射能漏れを起こし、大変な事になりました。しかし、原発そのものが悪いわけではありません。これを容認している私達に責任があると思います。原発とは、チェルノブイリの事故、福島の事故を経験して、もし事故が起きたらどうなるか分かったのではないでしょうか。それでも存在を容認する現状がある限り、また何かが間違いなく起きると思います。良い悪いではなくて、気づくまで繰り返し現象が現れるということです。そして何かに気づいたら、もういいでしょうということで消えるということなのだと思います。だから、嫌だと思うことから目を逸らしてしまって、それにきちんと取り組まないと、気づきを得られませんから、また形や時期を変えて同じ様な事が現れるということだと思います。一人一人の思いとは大変大きな影響を与えるのだと思います。今生きている人の、集合意識で世の中が出来ていますから、それがどの様に変わるかでこれからの世の中がどうなるか決まるのだと思います。
明らかに今の世界的大混乱は何かに気づかせる出来事です。一人一人が、ものの見方と生きる姿勢を変える時期に来たのだと思います。

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