世界


 風は、いろいろな顔を見せてくれます。心地良い”そよ風”、一瞬で通り過ぎて行く”突風”、体のどこかを切られてしまう”かまいたち”、大木を根こそぎにする”台風”、ウォーキングの時に背中を押してくれて楽な感じの”追い風”、その逆の”向かい風”、あらゆるものを破壊する”竜巻”など、日本には風の呼び名が150種以上あるようです。
「天上大風」(てんじょうたいふう、てんじょうおおかぜ)
私が昔からなんとなく好きな言葉です。良寛さんが、ある一人の子供から、凧揚げをするので、何か書いてと言われて書いたのが、この言葉です。今も、この書は残っていて、実際に凧揚げに使われた形跡はない様です。その子は、大人に頼まれたのかもしれません。良寛さんは子供には気を許す人だった様ですから。でもそのおかげで、今もこの書を見ることができる訳ですからありがたいです。
 この「天上大風」という言葉は、どんな意味なのでしょう。本当のところ、よく分からない様です。凧を揚げると、自分が立っている地上はそんなに風が無くても、段々、凧が揚がるにつれて凧糸の引きが結構強くなり、指が痛くなる位の強さになったりします。下は穏やかでも、上は強風が吹きすさんでいるのです。このことから推察したと思われる解説などがいくつかあります。良寛さんは僧侶ですから、流浪の旅をしながら修行をするわけです。そして、その土地の子供達と戯れるのが好きだった様です。
“そうして、高みの境地にのぼりつめた心は、人知れぬ嵐にもてあそばれている”という様な解説がありました。人によっては、良寛さんに対して、いろいろ批判めいた事を言うのです。良寛さんは、毎日、何もしてないでただぶらぶらしている様にしか見えないところがありましたから。そして、「天上大風」という言葉は、”そういう(良寛さんの)境遇を暗示してたのかもしれない”という解説もありました。(栗田勇、作家)
 私は、意外に、この”天上大風”という言葉は、その読んだままの意味だけなのかもしれないと感じます。良寛さんは、形式ばったことが嫌いで、裕福な家庭で育ったにもかかわらず、出家しました。契りを交わした翌日、その女性の前に、剃髪した姿で現れて、それから旅立った様です。なかなかやりますね。女性はびっくりしたでしょうね。
 良寛さんは、その後、あるがまま、なるがまま、の暮らしをしました。だからというわけではないのですが、なんとなく、私は難しく解釈しないで、そのままの意味で読みたいと思います。どういう感じかというと、その子供にせがまれて、”地上は穏やかでも、上の方は大風が吹いているのだよ”と単純にその子に書いてあげた様な気がします。その書が凧として揚がった様を想像したら、何となくしっくりくる様に思いました。私がこんな事を言っているのを聞いたら、専門家の偉い先生に叱られそうですね。
でも、これが私のフィルターを通した解釈です。書いた本人がいませんから、各々で推測するしかありません。そして、それでいいと思います。
この様に他の人の生きる姿勢を見て、どう感じるか、その解釈には、解釈する人の、ものの見方や生きる姿勢が反映されるのだと思います。そして、その見方も、自分のバイブレーションが変われば、解釈も変わるのだと思います。それでいいのだ、です。
つまり、自分の波動に対する反応なのです。良い悪いではないのです。
私は、今、地球には、大風が吹いていると感じています。皆さんは、今、どんな風が吹いていると感じますか。

コメント

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