輝き

意識

輝き
 世の中には、たくさんのマントラがあります。神への讃歌だったり、場を清めるものだったり、波動を上げるものだったりいろいろある様です。サンスクリット語で唱えた方が良いものもあります。声に出した時の、音の波動が大切な様です。よく分かります。それぞれ自分に合ったものを、やりたい人がやればいいと思います。
私も、毎日唱えているものが二つほどあります。あわの歌、カタカムナです。たまに、やるのが、私は光、私は愛、私は真実、I amというものです。気がついたらやる様になっていた感じです。特に訳もなくやっているのですが、この三つは、私の中に、スッと入ってきたのです。なんとなく、音の響きが心地良いのです。唱えた後は、なんだかすっきりした気分になるのです。前二つのマントラについては、言葉の意味は分かりません。まさかこの私が、こんな事をする様になるなんて想像すらしてませんでした。でも、考えてみると、波動ですから、気分が良くなるのはあたりまえです。しかも場が浄化されます。気分が落ち込んでる時にこそやった方が良さそうです。
三つ目の、私は光、私は愛、私は真実、I amは、blossom goodchildというオーストラリアの方のyou tubeで知りました。これと似ているなと思ったのが、我神なり、命なり、真理なり、無限光輝く、というものです。これは、上江洲義秀さんが言ってました。明想(上江洲さんが使う漢字です)をする際に唱えて入ると良いとのことです。だから、明想する際にやってます。でも、最近は座禅を組んで明想をするより、椅子に座って、ただボーとする方が多いです。”呼吸に身をまかせる”に書いたあれです。
これらの事をやる様になったのは、自分を知ることを、意識して始めてから、しばらく経ってのことです。明想も、自分の内側に入り、見つめるという、自分を知るための一つの方法だと思います。ある所まで来ると、自分が光を放っていること、そして周りの全てのものと繋がっているのが見えるそうです。私が知る限り二人の方がそれを体験して説明していました。私も、その境地まで行って、繋がりを見てみたい気がします。
つまり、自分を完全に思い出すということは元々の”私”は光であること、が見える様になるという事なのですね。文字通り、私は光、そして、無限の創造、無限の建設、無限の生かしという意味での、私は愛、最後は、自分が思い、具現化したものは良い悪い関係なしに、”ある”のだから、私は真実と来て、それが”I am”なのであると繋がります。そう理解すると、このマントラは大元や私達の本質を非常に簡潔な言葉で言い表しているのだと思います。これを唱えていれば、自分を思い出してくるのかもしれません。
私は、なぜ、この言葉が気になったのか、なぜ、スッと入ってきたのか、その理由が分かった気がします。ようするに、人は皆、輝きを持っているということです。唱える事で、それを再認識することになるマントラなのです。

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