死生観
「人生には悪いことは起こらない、すべてには意味がある」
私が最近再度惹きつけられた言葉です。ここのところ、有名人が、自ら命を絶ってしまったという報道が続いています。私の大学の後輩も昨年自ら命を絶ちました。この様なことが身近に起きると、やはり、私達は、死生観について自分なりによく考えることが大切なのではないかと改めて思いました。
冒頭の言葉は、たくさんの人達が言っています。特に、スピリチュアルな人達の多くが言っている様に思います。私も、ある時からこれは本当かもしれないと思うようになりました。でも、日々の暮らしの中で、実際に苦しいことや悲しいことが続いたりすると「人生には悪いことは起こらない、すべてには意味がある」ということの本質的意味などは忘れてしまいます。そんな時にこの言葉を読んだり言われたりしたら、「何を言ってるの、そんな訳の分からない、理想的なこと言わないで」と感じるかもしれません。
でも、そんな時こそ、少し掘り下げて、自分の死生観を見つめることができれば、そこからの生き方が変化する様な気がします。ただ感情に任せて、悲しさ、辛さ、腹立たしさ、怒りなど、なるがままにしてたら、それらの感情に振り回されて大変なことになるかもしれません。それらの感情が表れたら、まずはそれを自覚し、一呼吸置いてから話すなり、動くなりした方があまり変なことにはならない様に思います。それができれば、自分の心の平和が保てるのだと思います。
私の死生観は、一言で言うと、変化ということになります。ずっと自分(魂)は変化し続けていて、死というのもその変化のプロセスの一つということです。
もう少し具体的に言ってみます。私という魂(エネルギー体)が存在しています。それは、大元から分かれたものです。分け御霊と言います。そして個性を持たされています。すべての人がそれぞれの個性を持っています。私であるエネルギー体は振動しています。波動とかバイブレーションと言います。それは振動数が遅くて重いもの、振動数が早くて軽いものと様々あります。早すぎて止まっている様に見えるのを止速度と言うそうです。振動周波数が上がるほど大元に近くなります。そして、私達は、”すべてを持っている”ということを忘れています。それを思い出して大元に戻るという長い旅路についているのが、まさに今この瞬間私達がしていることです。つまり、今は、この地球に来て、ここの法則の元で(制限があるということ)地球ならではの経験をして、感情を味わいながら、いろいろな気付きを得て、魂を磨いています。それをする為に、生前計画書、ブループリントを描いてきます。地球でどんな両親を選び、どんな肉達を持ち、名前を決め、自分の課題を解決する為に何をするかを大体決めて、何歳くらいまで生き、どんな亡くなり方をするかを決めて来ます。この課題は自分で解決しなくてはなりません。今生で逃げたりしてできなければ、設定を変えてできるまでやり続ける事になるかもしれません。つまり、この地球で、私達の目の前に起きることは、自分の選択に原因があり、結果として現れているということです。だから、まずは目の前のことを、あるがまま、なるがまま、これでいい、それでいいと受け止めて、しっかりと向き合って、丁寧に対処することが基本になると思います。今の自分を受け入れるということです。ここが非常に大切になります。この様に考えることができれば、(自分の目の前に起きる)「すべてには意味がある」と分かるのではないでしょうか。そして、目の前に起きることは、自分(魂)が気付きを得るために必要なことなのだと思えば、「人生には悪いことは起こらない」と受け止められるのではないでしょうか。この地球での経験も、私達の長い旅路の一コマということです。
以上は、あくまで私の考えです。私はこう思っているというだけです。なので、一人一人いろいろな視点から考えてみるのがいいと思います。私は今書いたことが、自分の中で辻褄が合うのと、安心感があるという理由でこの考え方をとっています。
因みに、自ら命を絶つというのは、ほとんどの人の生前計画書にはない様です。計画に載せる人は本当に稀だそうです。それは本当かどうか分かりませんが、そうだとして、私は、誰かが自ら命を絶ったという話を聞く度に、人間は、自分の感情をコントロールできる様になることが本当に大事なことだと改めて思います。以前書いた、”マインドマスタリー”になるということです。それは、今、自分がどんな感情を抱いているのか、それがどんなものなのかを自覚して、その上で、冷静に、次の言動・行動をどうするか選択するということです。また、今自分はこんな感情を味わっている、ではなぜこんな感情を抱いたのかと自問していくことです。そして、これをすることは、自分自身を知ることに繋がります。なぜ自分は、なぜ、なぜと掘り下げていくのです。そうするといろいろなことが分かってきて、静心を保てる様になります。このプロセスに慣れてくると、ある種の余裕みたいなものも生まれると思います。
私はそう思っているから、「人生には悪いことは起こらない、すべてには意味がある」というこの言葉が理解できます。でも、日々の暮らしの中の辛い事などで、またまたその本質的意味を忘れるのです。だから、そんな時の為にこうして書き留めて置いて、定期的に読み直す様にしているのです。でも本当に効果があるのは、日々の暮らしの中で実際に動いてみて気付くことだと思います。
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