この世の道具

意識

この世の道具
 「この世の道具とは何でしょうか」突然この様なことを言われたら、いきなり何を言い出すのと思われるかもしれません。または、「この人、何言ってんの?」という感じを受けるかもしれません。しかし、私にとって、このことを把握しておくことは、とても大事なことなので、唐突な感じになりますが、自分なりに、それを纏めておきたいと思った次第です。それでは、いったいこの世の道具とは、何を指しているのでしょうか。
 それは、世間一般的に言うと、何かを作るときや仕上げるときに使うものを指すと思います。例えば、家を建てるときに使う鋸や金槌など、また、料理をする時に使う包丁や、まな板など、掃除をする時に使う、箒や塵取りなど、何かを仕上げるために使うものをイメージするのではないでしょうか。もちろんこれらのものなども、いわゆるこの世の道具です。しかし、私が、あえて”この世の道具”
などを取り上げるのは理由があります。それは、世間一般的に捉えられている概念とは、多少違いがあることを思っていて、そのことについて話すことになるからです。これからの内容は、多くの人達に、かなりの違和感を感じさせることかもしれません。
それでは、私が言いたい、”この世の道具”とは何かをお話しします。理解不能とか、受け入れるのは無理、と感じたら、流すか、スルーしてください。
 ”この世の道具”とは、この地球そのものを含めた、ありとあらゆるものすべてを指します。全部です。つまり、私達人間が何かを完成させるために必要とするものを指しています。私達人間の肉体や、動物、植物、微生物や、人工物など、何から何までということです。因みに、地球も、太陽も、宇宙もそうだと言ったら、その話を受け入れられますか。でも、私はそうだと思っています。
私達人間の肉体は、私達の本質(命、魂)が、その思いを顕現するための道具です。
動物の体も同じです。例えば、熊は熊なりの本能を、虎は虎なりの本能を、という様に、それぞれがそれぞれの本能を顕現するための道具です。
植物は美しさなどの本質を、それぞれの花や葉や茎や幹などで顕現しています。例えば、薔薇は薔薇なりの、桜は桜なりの本質をそれぞれの特徴で表しています。見えない場所にある根や、その元になる種なども、それぞれの命をそれぞれの表現の仕方を顕現するための道具ということです。土もです。全て繋がっているのが分かると思います。
虫も微生物も、それぞれの命を顕現しています。
人工物も、それぞれの役割を持って顕現しています。箸は食べ物を口に運ぶために、コップは水を飲むために、財布はお金を入れておくためになどと、それぞれにはきちんとした役割がありこの世に顕現しています。
因みに精神科の越智啓子さんはものにも意識があると言っています。世間一般的には、ぶっ飛んだ話と受け止められそうです。でも、私は分かる気がします。
すべてのものは、必ず何かしらの役割を持っていると思います。この世で、私達人間が、本来の自分を思い出す為に、様々なシチュエーションを創り出す際に必要だから、私達の思いが創造したのだと思います。その理由には、私達人間が楽しむためというのもあるかもしれません。そして、それら全ては、私達人間が肉体という衣装を脱いだ時には持って行くことはできません。次元が変われば、それらはもう必要無いからです。それにも関わらず、私達人間は、お金を得る為や、不動産を得る為や、さらに権力、名誉、地位などを得る為に、汲々としているのが現実ではないでしょうか。なぜでしょうか。それは、自分の本質が、永遠不滅の命であるにもかかわらず、肉体というこの世の道具を本質だと錯覚しているからなのだと思います。つまり、自分で創造した道具に、逆に振り回され続けていて、何度も輪廻転生を繰り返しているのだということです。しかし、そこには良いも悪いもありません。いろいろと自由意思でやっているからです。つまり、自己責任だということです。自分の本質(真我)に気付くまでいろいろとやり続けていくのだと思います。もしかしたら、そのプロセスを楽しんでいるのかもしれません。例えるなら、怖いもの見たさというものかもしれません。ある意味、こんなに辛いことをやり続けているなんて、余程勇気のある魂なのかもしれません。少しきつい言い方だったかもしれませんが、私は本当にそうだと認識しています。
 私は、地球で生きるなら、皆で楽しく平和にやりたいのです。だから、この世の道具を兄弟姉妹の幸せのために使い、地位も名誉もお金などの財産もその為に使うという思いを持つ人が、ある一定の水準まで増えないと平和にはならないと思います。そうなる為に、大切なことは謙虚な姿勢だと思います。その様な姿勢になるためには、ありてあるものから学ぶ姿勢になれるかどうかだと思います。そういう学ぶ姿勢を取れる様になれるなら、必然的に謙虚な姿勢になるのではないでしょうか。他人の言葉や行為などや、一匹の蟻の姿や、動物の生き方、植物の姿や鉱物の特性などから、私達人間はあらゆることを学べるのではないでしょうか。
それなのに、私達人間は、道具に振り回されて、それらを独占しようとしたり支配しようとしたりするなんて、冷静に見れば、非常に滑稽なことを必死にしているということになるのではないでしょうか。何かを完成させるための道具に意識がほとんどいってしまい、完成させるものに意識が行かなかったら、ますますその完成は先延ばしになってしまうのではないでしょうか。要は、自分がこのことにいつ気付くかだと思います。
私達人間は、そんな錯覚から、早く目を覚まし、何の為にここに来て肉体を纏って生きているのかをしっかりと思い出し、本来の自分が本質(命、無限意識、永久不滅)であることを自覚して生きるという、”完成”に全ての意識を向けないと、私達人間が創造した”この世の道具”にいつまでも振り回されて、私達人間の本質が本来いるところの無限意識、至福を味わえないと思います。
つまり、”この世の道具”とは、私達人間が、自分の本質に完全に気付くまでに使う、全ての自作の創造物を指すのだということです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました