気持ちの切り替え

意識

気持ちの切り替え
 皆さんは、自分の気持ちの切り替え方を意識したことはあるでしょうか。
 気持ちを切り替えるということに、人それぞれが持つ性格が何らかの影響を与えているかもしれません。さっぱりしている人やしつこい人、明るい人や暗い人、真面目な人やいい加減な人など、いろいろな人がいます。気持ちの切り替え方が早かったり、遅かったりするのは、それらの性格が原因だとする人達もたくさんいます。たしかにその様なことが関係するのかもしれません。しかし、その説を受け入れてしまうと性格や癖などを修正しようとする思いに自ら制限を掛けてしまうことになるように思います。それは、”私はこの様な性格だから仕方がない”としてしまうことです。それでは、本当は自分の嫌なところが分かっていても、本心ではそこを変えたいのに変えられず、堂々巡りしてしまうかもしれません。その様なことが続いたら辛いのではないでしょうか。
自分で嫌だとか、やめたいと思いながら同じことを繰り返してしまう原因を、自分の性格と考えないで、自分の思い癖と考えたらどうでしょうか。その方が、”また癖が出てしまった”という様に、もう少し修正しやすい気持ちになるのではないでしょうか。
私は、人が何度も転生するのは、思い癖や悪習を修正する為だと思っています。今生それができなければ、またいつかやり直す為に生まれてくると思っています。たぶん、できるまで何度も何度も繰り返すのだと思います。そして、意識が本質と融合したらそれで基本的に転生は終わりだと思っています。
私は、気持ちを切り替えることは、とても大切なことだと思います。例えば、テストで悪い点を取って落ち込んだ時、失恋して絶望感に苛まれた時、大口の仕事を自分のミスで契約できずどうしていいか分からない時、誰かに罵られた時など、自分の意に反した時は落ち込んだ気持ちになると思います。
逆に、希望の大学に受かった時、出世街道を順調に進み続けている時、誰かから誉められた時など、自分の意に沿っている時は有頂天になることがあるのではないでしょうか。この様に自分に都合の悪い時には落ち込んで、都合の良い時には有頂天になるのが、私達人間なのかもしれません。
しかし、自分の都合で目の前の事象を判断していたら、その都度落ち込んだり、有頂天になったりの繰り返しで、何の修正もできないかもしれません。自分の都合の良し悪しに視点を置いている間は自己改造という修正はできないと思います。では、どうすればいいのでしょうか。
それは、目の前の事象というのは、どんなことであれ、自分で蒔いた種が、縁に触れて発芽したものだと考えることです。前世のどこかでしてきた自分の思い、発した言葉、行為が自分に戻って来たということです。たとえば、助けたものは助けられる、騙したものは騙される、少しキツイ言い方ですが、殺したものは殺されるということです。
 自分の思い、言葉は、波動を放ちます。怨みや怒りや嫉妬などは、それぞれそれなりの波動を放ちます。自分でそれらの状態の時にどの様な気持ちだったのかを思い出してみて下さい。その波動が必ずいつか自分に戻るのです。怒っていた時や恨んでいた時や嫉妬していた時を思い出してみると気持ち悪く感じませんか。それが必ず戻ってくるのです。その波動が嫌なら、慈愛の気持ちの時を思い出して下さい。それがいつか自分に戻って来たら気持ち良く感じると思います。そういうことです。
何かで落ち込めば、その波動に覆われてしまい、ポジティブな波動が出ません。それが分かっているなら、すぐに気持ちを切り替えてしまった方ががいいのではないでしょうか。一つには、このことに気付いているかどうかです。気付かないで、いつまでも修正しないでいると、落ち込み癖が付いてしまい、その頑固な悪癖を修正するのが難しくなります。
そして、結果的に根強い思い癖になります。私達人間には、落ち込み癖以外にも、人それぞれに何かしらの思い癖や悪習があります。なぜか、執着しているのです。それらは、私達人間が何度も転生して修正しようとしながら出来ずに、今生にまで持ち越している癖です。だから、それを強く意識して修正しようとしなければ修正できないと思います。
また、別に今のままこれでいいと思うならそれでいいと思います。まだ、その人のタイミングではないのかもしれません。しかし、いつまでもその様な気持ちでは、本質の至福を味わえないと思います。なぜならそれらの思い癖や悪習とは本質には無いものであり、それにもかかわらず、いらないものを持ち続けてしまう事になるからです。それらの波動が自分の中にある限り、本質の波動とは融合できないということです。なぜなら、周波数が違ったらラジオが入らないのと同じだからです。それと同じ様に考えてみたら分かりやすいと思います。波調が合わなければ絶対に融合できないということです。
今のアセンションが修正の後押しをしてくれることに気付いている人は急いだらいいと思います。絶好の機会だからです。また、今のところ、まだこれでいいという人はゆっくりやればいいと思います。なぜなら、人それぞれのタイミングがあるからです。大切なのは誰かのペースではなくて、自分のペースだということです。
私は、この絶好の機会に生を与えられたことに感謝しています。それ故に、本質と融合するという意志を持ち、自分に必要な目の前の事象には忍耐を持って取り組み、道を切り拓く勇気を持ちながら、一瞬一瞬、命そのものを生きる努力をしたいと思います。今こそ、気持ちを切り替えなければならない時に来ていると、私は強く感じるのです。

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