後悔

意識

後悔
 「やれば良かった。もう少しだったかもしれない」
 この後悔の言葉は、私達人間のほとんどが肉体を脱いでから必ず思うことだそうです。この話は、スピリチュアルな人達など多くの方々が、本の中や講話の中で語っています。ある人は、それは単にこの世でやり残したことだと言います。また別の人は、目の前の事は、魂の成長のためにきちんと取り組む必要があったのに、それに気付かず逃げてしまったこととして言っています。これらの話は、話し手が親兄弟と意識で繋がった時に聞いたというものが多いのですが、一体どういう意味なのでしょうか。それらは、単に楽しみ尽くせなかった後悔なのか、それとも魂磨きのためにやるべきことをやり残してしまった後悔なのか、一体何を言いたいのでしょうか。
それは、自分が本質追求の道から逸れてしまったこと、道に乗っていたのにやらない理由ばかり選択してしまい足踏みしてしまったこと、自分の悪習(お酒、タバコ、薬物など)や思い癖(恨み、怒り、嫉妬など)を超越できなかったことを言っているのかもしれません。
 私達人間は、自分が何ものであるかを追求して、その到達したところの境地を自覚する権利が与えられているそうです。私達人間以外の動物、植物、鉱物など”すべて”は、この特権を与えられていないそうです。その意味で、私達人間は万物の霊長ということになるのかもしれません。これが、人は神の似姿ということなのかもしれません。つまり、神の作った完全法則を知ることや、それを自由意思で生きることができるということです。神の法則(共存、共栄、共生、調和)を知らなければ、その法則からずれて生きる(恨み、怒り、嫉妬、不調和な想念)ことになります。そうなると、あらゆる障害にぶつかることになるかもしれません。私達人間は、それらの法則を探したり、それらを作った根源の存在を探すことができるわけです。
要するに、その本質根源そのものが私達人間の本質(分け御霊)であるということです。このことに気付いている人は意外にたくさんいるのかもしれません。しかし、その本質そのものを生きている人(完全意識)となると、地球人口の中に数名しかいないのかもしれません。その完全意識と融合することができるかどうかを私達人間は延々とやっているのかもしれません。つまり、本質を分かっているつもりなだけで、本質そのものを顕現していないのです。それでは分かっていることにはならないのです。本質と融合できていないのです。
 では、それが分かったらどの様に生きればいいのでしょうか。私は、私達人間は、肉体を纏っている間は、自分の本質を追求し、本質に気付いたらそれをしっかりと自覚し、それそのものを顕現することを目指す生き方をすればいいのだと思います。
繰り返しになりますが、その様に、私達人間は根源と融合することを延々と追求しているのかもしれません。そこに至る為に、私達一人一人はこの世に来る前に自らいろいろ設定して”今生こそは目醒める”と覚悟して来たのに、その記憶を消されているので、その意気込みも忘れてしまい、思い出すこともできず、道を逸れて物質に溺れ快楽に溺れて”また目醒めず終わってしまった”と後悔しているのかもしれません。
因みに、今年お姉様を亡くした方が意識で何度かお姉様に会ったそうです。やはりお姉様は後悔していたそうです。やらない理由を探してばかりだったことを後悔してた様で、もう少し勇気を出していろいろやれば良かったということを強調していたそうです。この様な話を聞くと、具体的に何をすればいいのかなと考えてしまいます。
 私達人間は自分の放った思い、言葉、行為の波動は必ず自分に戻ります。つまり、目の前の事象は自らの選択の結果としてあらわれたものです。それから逃げずにしっかりと向き合って丁寧に対処することが大事なことなのです。ことさらあれやこれや外を探し回らなくてもやるべきことはあるものです。つまらないとか価値がないとかの理由をつけて避けている今の目の前のことが、実は大事なことなのかもしれません。今自分がここに立っているのにはきちんとした理由があるのです。そしてそれは偶然ではなくて、自らの選択の結果として表れています。そのことを自覚した上で目の前のことにどう対処するか、その選択次第で、何かしらの気付きを得て今までの自分から脱することができるのか、何の気付きも得られず相変わらずのままなのかが決まります。こういうことに気付いてそのお姉様は、”やらない理由を探してたりして目の前の事象を避けてしまった、そんなことしなければもう少し成長できたのに”と言っている様に私は感じました。
 この世には、”反省して修正する時間”があります。しかし、いわゆるあの世は思いを修正する時間が無いとのことです。バイブレーションを上げずらいということです。もしそうならば、この世にいる間にできるだけ思い癖、悪習などを修正し、執着を捨て本来の自分を完璧に思い出し、そこに定着したいものです。どの道を辿っても行き着く所は全員同じ所だと思います。すべての背後にある本質根源は一つだということです。
今生を共にしている私達人間すべてが、本質根源に到達できれば素晴らしいことだと思います。この世でもあの世でも後悔しない様に歩んでいきたいものです。

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